父よ、彼らをお赦しください         ルカの福音書23章32~38節

2026年3月22日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)

【1】 イエスの愛
 私たちは人に親切にする際、その人が喜んでくれることを期待します。助けに行った際、相手が歓迎してくれることを望みます。贈り物をした際、感謝してくれることを求めます。
 ところが親切にしても、助けても、贈り物をしても喜んでもらえず、歓迎してもらえず、感謝してもらえないどころか嫌な顔をされたら、私たちの心はたちまち不機嫌になってしまうのではないでしょうか。
 イエス・キリストがこの世に来られた時、イエス様は人々に歓迎されたでしょうか。このように記されています。「この方はご自分のところに来られたのに、ご自分の民はこの方を受け入れなかった(ヨハネ1:11)。」 イエス様はこの世に受け入れられなかっただけではありません。この世から侮辱され、辱められ、有罪とされ、十字架につけられました。
 このような仕打ちをもし私たちが受けたら、私たちはとてもその相手を愛することはできません。怒りと憎しみで私たちの心はいっぱいになるはずです。しかし、イエス様はどうだったでしょうか。
 イエス様は十字架上で、祈りました。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです(34)。」 ご自分のことを馬鹿にしたり、侮辱したり、十字架にはりつけにした人々の罪の赦しを求めて、神様に祈ったのです。信じられない愛ではないでしょうか。
 しかもイエス様は「彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです」と神様に祈りました。人が罪を犯さざるを得ない理由があることに言及しながら、愚かな人間の側に立って弁護してくださっているのです。ここに究極の愛が表されています。
 自分が何をしているのかが分からないままに罪を犯してしまっていることが多い私たちです。しかし私たちはこのような大きな愛でイエス様に愛されています。その恵みを忘れないようにしましょう。

【2】 加害者と被害者
 イエス様は十字架上で私たちの罪の赦しを求めて祈られました。そこに表されているのは、被害者であるイエス様が加害者である人間のために祈っておられる姿です。
イエス様は罪を一つも犯していないのに不当な裁判にかけられ、有罪とされ十字架につけられました。完全な被害者です。私たち人間は多くの罪を犯し有罪でさばかれなければならない存在なのに、無罪のイエス様を十字架につけました。完全な加害者です。それなのに被害者であるイエス様が、加害者である私たちの罪の赦しを求めて祈られました。
 私たちが被害を受けた時に取りやすい態度は、被害者意識にとどまり続ける、ということです。そしていつまでも加害者への攻撃を続けます。言われたこと、やられたこと、受けた仕打ちはいつまでも忘れません。それは確かに大変大きな傷であり、痛みなのかもしれません。
 普通傷は時間とともに癒されます。神様は私たちの身体に傷を治癒する力、回復力を与えてくださっているからです。ところが私たちが心に傷を受けた時には、その傷はなかなか癒されません。被害者意識にとどまり続けることによって癒されることを拒んでしまうからです。その状態からいつまで経っても解放されずに苦しみ続けるのです。
 イエス様は大きな被害を受けました。身体にも心にも深い傷を負われました。しかしイエス様の心は被害者意識に全く囚われていません。むしろ加害者である私たちに対する大きな愛に満たされています。そんなイエス様の姿は私たちに何を語っているのでしょうか。イエス様が私たちの痛みをともに担うために、究極の被害者になってくださったということです。
 やがて来る救い主を預言してイザヤはこのように語りました。「しかし、彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼へのこらしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた(イザヤ53:5)。」 私たちの傷を癒すために、イエス様は自ら刺され砕かれたのではなかったでしょうか。傷を負ってくださったのではなかったでしょうか。

【3】 父よ
 イエス様はなぜ、十字架上の苦しみの中にあってさえも、私たちに対するこのような大きな愛を示すことができたのでしょう。それは神様に信頼していたからです。十字架上でイエス様が発せられた最初のことばは「父よ」と、父なる神様を呼びかけることばでした。
 耐えられない苦しみの連続の中にあってヨブの妻はヨブに「神を呪って死になさい」と言いました(ヨブ2:9)。しかしイエス様はこの激しい苦しみの中にあってさえも、父なる神様に対する信頼を失いませんでした。イエス様は何と深く神様に信頼していたことでしょうか。愛の大元である神様としっかりつながっていたからこそ、イエス様はこのような大きな愛に生かされていたのです。
 私たちの激しい痛みの時も、神様に向かって「父よ」と呼びかけましょう。そしてイエス様が私たちのために刺され砕かれ傷ついてくださったことを覚えましょう。イエス様を信じ、私たちも癒やされ解放されたいと思います。