2026年2月8日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)
「カインのようになってはいけません(12)。」 私たちにとってとてもショッキングなことばではないでしょうか。誰もがカインのようになり得るということを、このことばは表しているからです。
カインとは何をした人でしょうか。自分の兄弟を殺した人です。そんなカインと同じようになり得るとは、とても受け入れ難い教えであるように私たちには感じられます。しかしカインを殺人に掻き立てた同じものが、私たちの内側にもあります。カインが抱えていた同じ問題を、私たちも抱えています。それゆえに私たちもカインのようにならないように、気を付ける必要があるのです。
【1】 互いに愛し合うべきこと
カインがなぜ自分の兄弟アベルを殺したのかに注目する前に、神が私たちに願っているみこころに心を留めたいと思います。
「互いに愛し合うべきであること、それが、あなた方が初めから聞いている使信です。(11)」
神が私たちに願っていることは、私たちが互いに愛し合うことです。「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい(ヨハネ13:34)」とイエス様は弟子たちに教えられました。その教えが弟子たちを通して初代教会においてもよく教えられていたようです。ヨハネの手紙を読む読者たちにとっても、それが「初めから聞いている使信」だったからです。
イエス様はかつて12弟子を選ばれて、彼らに多くのことを教え、多くの訓練を与えられました。その中でこれは、弟子たちにとって守るのが一番難しい教えだったと考えられます。12弟子たちが自我と自己主張の強い個性派集団だったからです。
一人ひとりは皆イエス様に一生懸命に仕えているのですが、12弟子の間での関係は複雑でした。イエス様がおられることで辛うじて成り立っているような脆い集団だったのです。
しかしイエス様はそれを承知で彼らを集められました。彼らがイエス様から最初に学んだこと、それは自分たちは愛において実に乏しいこと、自分の力では兄弟を決して愛せないという自分に関する事実だったのです。それがイエス様から愛を学ぶ出発点でした。
【2】 なぜカインは自分の兄弟を殺したのか
ただし、そこには危険も潜んでいました。愛において乏しい自分を認めることができず、逆に自分を絶対視してしまう危険です。まさに彼らはカインのようになってしまう危険に晒されていたのです。
なぜカインは弟アベルを殺してしまったのでしょうか。その理由についてヨハネは「自分の行いが悪く、兄弟の行いが正しかったからです」と語っています。私たちは普通そのようには考えません。逆のことを考えます。つまり「自分の行いは正しく、兄弟の行いが悪かった」と考えるのではないでしょうか。おそらくカインもそのように考えたことでしょう。
創世記4章によるとカインもアベルもそれぞれ、神様にささげ物を持って行き神様を礼拝をしました。ところが神様はアベルとそのささげ物に目を留められたのに、カインとその捧げ物には目を留めてくださりませんでした。まるで神様がアベルをえこひいきしているかのように見えます。神がカインの捧げ物に目を留められない本当の理由がカイン自身の中にあったのに、彼はそのことに関しては無自覚のまま、当然のように怒ってアベルを殺してしまったのです。
さらにカインがアベルを殺してしまったもう一つの理由は、アベルが正しかったからです。アベルの正しさにカインは強い妬みを抱きました。そもそもカインは「悪い者から出た者」でした。霊的な権威者である悪魔が彼を支配し、彼を罪の虜とし、彼に罪を犯させていたのです。
【3】 むすび
カインは自分の行いが悪いことを認めることができませんでした。アベルの行いが正しいことに強い妬みを抱きました。そして悪い者・悪魔から出た者でした。それゆえに彼は当然のように怒り、自分の兄弟アベルを殺してしまったのです。私たちもカインのようになってしまう危険があるのではないでしょうか。
私たちに必要なこと、それは神から生まれるということです。神から生まれた者は罪を犯さないし、罪を犯すことができないからです(9)。そしてそのために私たちにはやはりイエス・キリストが必要です。イエス・キリストを信じこの方により頼むことが大事です。イエス様は悪魔のわざを打ち破るために、この世に私たちの前に現れてくださったからです(8)。
私たちは当然のように怒って私たちの正しさを主張していることが多いのではないでしょうか。みことばの導きの中で、真実な悔い改めへと導かれたいと思います。そして十字架で死なれたイエス様を仰ぎ信じましょう。その時に私たちは初めて互いに愛し合う者へと変えられて行きます。主のみこころを行う者へと変えられていきます。
イエス・キリストの愛に満たされ、互いに愛し合う者としていただきましょう。