愛がわかったのです           ヨハネの手紙第一3章16~18節

2026年2月22日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)

【1】 愛がわからなかった
 「それによって私たちに愛が分かったのです(16)。」 とても心に響くことばだと思います。このことばより一つ気づかされることがあります。それは、この人々はそれまで愛が何かということについて分からなかった、ということです。
 それまで愛だと思っていたものは実は愛ではありませんでした。人間の罪のゆえに極めて歪んだかたちの愛でしかなかったのです。それは愛という名の「支配」や「押し付け」だったかもしれません。愛という名のもとに、私たちも人を苦しめたり、悩ませたり、傷つけたりしているのではないでしょうか。
 ヨハネは16節に至る箇所の中で、人間の罪人としての姿を示しました。互いに愛し合うべきことはイエス様から弟子たちに、弟子たちから教会に伝えられた大切な使信です(11)。私たちは誰もが互いに愛し合いたいと願います。しかしヨハネは続けて「カインのようになってはいけません」と命じました(12)。弟アベルを殺してしまったカインと同じように、私たちも兄弟を憎んでしまいます。
 さらに「兄弟を憎む者はみな、人殺しです」と教えられています(15)。私たちはせっかく信仰によって救われて死からいのちに移されたのに、今も変わらずに愛さない者、義を行わない者、兄弟を憎む者、そして死にとどまり続ける者です。それゆえに互いに愛し合うことができないのです。
 しかしそんな人間の限界と絶望の先に「愛がわかりました」という体験が待っています。それを考える時に罪人としての自らを知ることは大事な経験だし、大切な準備であることに気づかされます。

【2】 愛がわかったのです
 ヨハネとヨハネの手紙の読者たちはなぜ、愛が分かったのでしょうか。それは愛がわかる経験をしたからです。その経験とはどのような経験でしょうか。それは「キリストは私たちのために、ご自分のいのちを捨ててくださいました(16)」との経験です。キリストは私たちのために、ご自分のいのちを捨ててくださったのです。
 「私たち」とはどのような私たちでしょうか。悪魔に支配され、罪を犯し、義を行わず、兄弟を愛さないで憎む、そんな私たちです。自己中心で神に何度も背き、反逆し、不信仰を貫く、そんな私たちです。愛される価値の全くない、そんな私たちです。そんな私たちのために、キリストはご自分のいのちを捨ててくださいました。彼らはそれを知った時に「愛が分かった」のです。
 この愛は、愛を受ける者たちの状態に関係なく無条件に与えられる愛であることがわかります。愛される理由が私たちにあるのではなく、愛する理由が神の側にあるのです。
 さらにこの愛は行動で表される愛です。ご自分のいのちを捨てる、という行動によって愛は表されました。本来死んでさばきにあうべき私たちの代わりに、キリストが身代わりとなって死んでくださり、私たちを救い出してくださいました。私たちは果たして「愛が分かった」でしょうか。愛が分かる経験が与えられたでしょうか。
 
【3】 愛がわかった結果
 愛が分かった人はどうなるのでしょう。ヨハネは続けて教えました。「ですから、私たちも兄弟のために、いのちを捨てるべきです。」 愛を知った人は、その同じ愛で、兄弟を愛するように変えられていくことがわかります。
 「いのちを捨てるべきです」と訳されることばは、「いのちを捨てるべき負債を負っている」とも訳することができます。神の愛を知った人は愛の負債を負います。それは一生かけても返すことのできないくらいの大きな負債です。そしてそれは幸せな負債です。愛に乏しかった私たちを愛に生きる人に変えていく負債だからです。
 その人が本当に愛に生かされているかどうかは、困っている兄弟と出会った時に試されます。自分の兄弟が困っているのを見ても、その人に対してあわれみの心を閉ざすような者に、神の愛はとどまっていないからです(17)。さらに私たちはことばや口先だけではなく、行いと真実をもって愛することが命じられています(18)。
 大事なことは神の愛が私たちのうちにとどまっているかどうかです(17)。私たちがキリストのうちにとどまり、注ぎの油である聖霊が私たちにとどまっているかどうかです。もし私たちが救われる前の古い肉の性質と、悪魔の支配と、死のうちにとどまり続けるならば、私たちはいつまで経っても愛がわかりません。兄弟を愛することもできないのです。

【4】 むすび
 ヨハネもかつては愛のわからない人でした。そのヨハネも「愛が分かった」との告白に導かれました。イエス・キリストと出会って、イエス・キリストの愛を知ったからです。愛を知った人だけが、人を愛することができます。
 イエス・キリストの愛は行いと真実をもって表されました。私たちも行いと真実をもって愛し合いたいと思います。願わくは神の愛が私たちのうちにとどまり続けますように。そのために私たちはキリストのうちにとどまり、神の愛といのちに生かされましょう。