神の愛と選び               申命記4章37~40節

2025年9月7日  飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生)

 今日の箇所において、ここに救われたキリスト者に与えられた祝福が示されています。それは神の計画の中を生きることのできる祝福です。
 イスラエルの民は今までの40年間、荒野での歩みを強いられてきました。それは大変苦労の多い歩みだったと思います。一方これから約束の地に入った後も闘いの連続です。しかしどんなに厳しくても、そのような状況に彼らが埋もれてしまうことはありません。なぜならば神の御手が彼らといつも共にあるからです。そして彼らが神の計画の中を生かされているからです。
 神の民に与えられた祝福は、まず私たちの過去に表されています。私たちは救われました。なぜ救われたのでしょうか。どのようにして救われたのでしょうか。どこから救われたのでしょうか。

【1】なぜ救われたのか
 彼らはなぜ救われたのでしょうか? それは主なる神が彼らのことを愛し、選ばれたからです。神様はかつてモーセを召し出された時に、このように語られました。

「わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみを確かに見、追い立てる者たちの前での彼らの叫びを聞いた。わたしは彼らの痛みを確かに知っている。(出エジプト記3の7)」

 神がイスラエルの民を救い出されたのは、神が民の苦しみを確かに見たから、彼らの叫びを聞いたから、そして彼らの痛みを知っていたから、つまり神様が彼らのことを愛していたからです。特に神はエジプト人がイスラエルの民を虐げている有様を見て、心を痛められました。
 さらに神様はエジプトでイスラエルの民を救われた時、もうすでに後の子孫を選んでおられました。彼らを神の祝福の対象として、救いのご計画の中に加えられていたことのです。その知らせは、第二世代に属する彼らにとっては、とても嬉しいことだったのではないでしょうか。
 私たちの悩みの時、神がその苦しみに目を留め、私たちの叫びに耳を傾け、私たちの心の痛みを知っているとは何と幸いなことでしょうか。
さらにクリスチャンホームに生まれた子どもたちは、もうその時点で祝福されていることを私たちは覚えたいと思います。なぜなら彼らの父祖たちを愛された神はその時点で、もう彼らの子孫のことも選んでおられるからです。それはクリスチャンホームに生まれれば自動的に救われる、という意味ではありません。やはり私たちには祈りが必要です。そして神様は私たちの祈りを必ず聞き遂げてくださいます。ですから私たちは子どもたち、孫たちの救いを信じて祈り続けようではありませんか。

【2】いかにして救われたか
 イスラエルの民はいかにして、どのような方法で救われたでしょうか。彼らは神のご臨在の中、神の大いなる力によって救われました。
 イスラエルの民がエジプトから連れ出され海辺まで来た時に、なんと後ろからエジプトの軍勢が迫ってきました。そのような危機的な状況の中にあって神はイスラエルを雲の柱、火の柱によって、そして海の中に道を作り出すことによって救い出してくださいました。自分の力でエジプトから脱出したわけではなかったのです。
 私たちも救われました。どうしてでしょうか。それは神の臨在が私たちとともにあったから、そして神の大いなる力が私たちに働いたからです。

【3】どこから救われたのか
 最後に、彼らはどこから救われたのでしょうか。彼らはエジプトから救われました。エジプトとは、どんな国でしょうか。それは「ファラオの手」「奴隷の家」です。エジプトとは絶対的権力者であったファラオの支配が国中の隅々まで及ぶ、イスラエルの民にとっては奴隷の家でした。そこで彼らは重労働を課せられ、虐げられていました。彼らがその状態から逃れることは絶対にできませんでした。
 私たちもかつては、自分の罪の中にあって、この世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者、すなわち不従順の子らの中に働いている霊に従って歩んでいました。私たちは自分の肉の欲のままに生きる欲望の虜であり、さらに悲惨なことに「生まれながらにみ怒りをうけるべき子ら」だったのです。(エペソ2の2~3)。
 しかし、私たちはその「エジプト」から救い出されました。神がただ私たちを愛してくださったゆえに、神のご臨在の中、大いなる力をもって私たちを奴隷の家から救い出してくださいました。罪と肉と死と神のさばきの奴隷だった私たちを、神は一方的に救い出してくださったのです。
 しかもその祝福は私たちだけでなく、私たちを通して私たちの子どもたち、孫たち、子孫にまで及んでいきます。何と幸いなことでしょうか。
 救われた大いなる恵みに感謝して、私たちは神の前に心を開き、喜びをもって主に仕えてまいりましょう。