2025年9月14日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)
それは、あなたよりも大きくて強い国々をあなたの前から追い払い、あなたを彼らのゆずりの地に導き入れ、今日見るとおり、彼らの地をゆずりの地としてあなたに与えるためであった。(申命記4章38節)
イスラエルの民は40年前にエジプトから救い出されました。その事実が37節に記されてあります。そこには神様の目的があったことが38節に示されています。約束の地は彼らにとってゴールではありませんでした。約束の地への到着が彼らにとっての新たな出発でした。
私たちもイエス・キリストの恵みをいただいて救われました。救われて、それでゴールに到達したのではありません。スタート地点に立ったのです。私たちが救われたのには目的があります。信仰者に導かれて新しい歩みが始まったのです。
【1】 追い払う
イスラエルの民が救われたのは何のためだったでしょうか。第一にそれは約束の地に入った後、彼らよりも大きくて強い国々を彼らの前から追い払うためでした。約束の地は「乳と蜜の流れる」豊かな地でしたが、同時に真の神を恐れることのない異教徒たちが住んでいる国々でした。彼らを追い払ってその地を占領するためにこそ、彼らは救われたのです。
しかもそこにあるのは「あなたよりも大きくて強い国々」でした。彼らの父祖たちはかつてカデシュ・バルネアでそこに住む人々の背の高さ、体の大きさ、強そうなその姿を見て恐れおののいてしまったことがありました(民数記13、14章)。父祖たちがかつて見てひるんでしまった同じ敵と、彼らはこれから向き合うことになるのです。これから約束の地に入ろうとする彼らにとって、それは何と大きなチャレンジだったことでしょうか。
私たちも日々の生活の中にある敵を追い払わなければなりません。それは、あなたの住んでいる地域に住む神様を知らない人々を追い出しなさい、という意味ではありません。私たちは置かれた場所で、遣わされたところでみことばに従って神を愛し、人に仕えていく必要があります。
ところがそれを妨げる障害があります。世間の目や人々から寄せられる評判、この世の考えや価値観を恐れてしまい私たちはすぐに萎縮してしまいます。聖書の真理は素晴らしいと心の中で思ってはいても、この世では通用しないとどこかで割り切って考え、この世と妥協してしまうのです。
私たちは地の塩、世の光となることが求められています。この世の全領域に渡って信仰者として歩むために、それを妨げる障害を追い払う必要があるのです。
【2】 導き入れる
イスラエルの民が救われたのは二番目に、神が約束の地に彼らを導き入れるためです。エジプトから彼らを「導き出された」神は、彼らを約束の地にまで「導き入れて」くださいます。そこには絶えず導きがあります。神の導きの手が彼らから離れることはありません。それは、何と大きな励ましだったことでしょうか。
ここに来て異教徒たちの大きさ、強さが強調されている理由がわかります。そこにあるのは彼らよりも大きくて強い国々です。とてもイスラエルの民がたちうちできる相手ではありません。その敵と向き合ったらだれもがひるんでしまいます。でもそれゆえに彼らは神に信頼することができます。
私たちは何を恐れているでしょうか。私たちを今恐れさせているものは何でしょうか。自らの弱さを自覚しつつ、主の導きの御手により頼むましょう。
【3】 ゆずりの地として与える
彼らが救われたのは三番目に、約束の地をゆずりの地として与えられるためです。約束の地は「彼らの地」と呼ばれています。それはまだ彼らのものとなっていませんが、いずれ彼らの地となります。それは確実です。神の約束だからです。そのためにこそ、彼らは救われました。
彼らは「今日見るとおり」、約束の地を目の前に見ています。エジプトから救い出された後、荒野での40年の厳しい旅を経て神様はここまで彼らを導いてくださいました。その同じ神様がこれからも導いて、必ずその地を与えてくださいます。約束の地は彼らにとって約束されているがまだ与えられていない土地、確実だがまだ獲得されていない場所だったのです。
神様のご計画は、この地上に御国を建て上げることです。イエス・キリストの到来から2000年の時を経て、御国は世界中に拡大しています。その完成を私たちはまだ見ていません。しかし、それは必ず完成に至ります。主イエスが再び来られる再臨の日に、御国は完成します。その日を待ち望みましょう。
【4】むすび
キリスト者と教会には目指すべき方向と目標が与えられています。その目標を決して見失うことがありませんように。私たちも御国の完成を待ち望みつつ、みことばを宣べ伝えて行きましょう。