2025年8月10日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(山村 英夫 師))
今朝は試練がどのように人を作り上げていくのかをモーセの歩みを通して見ていく事にいたします。ご存じのようにモーセはイスラエルの民をエジプトでの奴隷状態から導き出し、民に神さまの律法を伝えた偉大な指導者でした。このモーセの生涯を見ていきますと、神さまが人を育てられる方法を見ることができます。それは試練ということです。実際に神さまはどのような方法で試練を用いてモーセを育てられたのでしょうか。読んでいただいた個所に書かれている内容を見ながら、そのことを見ていきましょう。
エジプトの王宮で育てられたモーセが成人したとき、ある出来事に出くわしました。自分の同胞がエジプト人に打たれていたのです。この光景を見たモーセは怒りに燃えたのでしょう。同胞を打ったエジプト人を殺し、砂の中に埋めてしまいました。ところが次の日に、同胞である仲間が争っていた場面を見て悪い方に「なぜ仲間を打つのか」と言ったところ、逆に自分がやったことが明らかにされ、モーセは自分が責められる立場へと追い詰められてしまいました。そしてこのことによってファラオに自分の命を狙われることとなってしまったのです。良かれと思ってやったことが、何と自分の命を危険さらす結果になってしまったのです。それはモーセにとって大きな試練となりました。
モーセだけではなく試練は誰でも経験することです。一体、神さまは私たちに何のために試練に会わせられるのでしょうか。それは神さまが私たちを愛しておられるからです。神さまは私たちを愛しておられますから、愛する者に、より多くの祝福と恵みを与えるために試練という道を通らされるのです。ペテロも第一の手紙1章6、7節で「そういうわけで、あなたがたは大いに喜んでいます。今しばらくの間、様々な試練の中で悲しまなければならないのですが、試練で試されたあなたがたの信仰は、火で精錬されてもなお朽ちていく金よりも高価であり、イエス・キリストが現れるとき、称賛と栄光と誉をもたらします」。またへブル人への手紙12章11節で訓練ということばを用いて「すべての訓練は、そのときは喜ばしいものではなく、かえって苦しく思われるものですが、後になると、これによって鍛えられた人々に、義という平安の実を結ばせます。」とあります。
神さまは私たちを愛すれば愛するほど、より多くのすばらしいものを与えようとしておられるのです。その場合、より多くのすばらしい祝福や恵みであっても、受ける私たちの器が小さければ多くのものを受け入れることはできません。神さまは私たちの器をより大きくし、多くの良きものを与えようとしておられるのです。試練はどんな種類や内容のものであっても苦しいものであり、辛いものです。そして、誰も好き好んで試練を受けたいと思う人はおりません。あなたがもし今何か苦しい、あるいはきびしい試練の中におられるのであれば、神さまはあなたに何かを期待しておられるのであって、あなたに多くの良きものを与えようとしておられるのです。
さて、試練は二つの特徴を持っています。
試練は一回だけで終わるものではないということです。一つの試練が終わると別の
試練がやってくるものです。一つの問題が解決すると、また別の問題がやってくる
のです。先ほどのモーセは120年の生涯を全うするまでにこの後、何度も何度も試練に会っています。このように試練に何度も何度も会うのは神さまがその人をより深く愛しておられ、その人により多くの祝福を与えようとしておられるからです。
試練のもう一つの特徴は、神さまは私たちに耐えられない試練に会わせられることがない、ということです。コリント人への手紙第一10章13節「あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせことはなさいません。むしろ、耐えられように、試練と共に脱出の道も備えていてくださいます。」とありますように神さまは私たちに耐えられない試練に会わせられることはなさらないということです。
試練に会うことは辛いことに見えますが、その試練によって神さまが私たちをどれだけ愛して祝福なさろうとしておられるのかを見つけていきましょう。