2025年7月6日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)
2章の冒頭でヨハネは教会の信徒たちに「私の子どもたち」と親しく呼びかけています。父なる神様は私たちにも「私の子どもたち」と呼びかけて、みことばを語り聞かせてくださることを覚えましょう。
【1】 手紙執筆の目的
それに続けてヨハネは、この手紙を執筆した目的について言及しました。それは、「あなたがたが罪を犯さないようになるため(1)」でした。
ヨハネがこの手紙を執筆した目的は「私たちの喜びが満ちあふれるため(1:4)」だったのではなかったでしょうか。執筆の目的は二つあったのでしょうか。私たちの喜びが満ちあふれるためには、実は罪の解決が必要です。よってこれら二つは同じことを言及しているのです。
残念ながら、多くの人々は罪の問題の解決を求めていません。病気の癒しや悩み事の解決や、家庭の円満などを求めている人は多くても、罪の解決を求めている人は意外と少ないのです。クリスチャンでもそうです。その結果、信仰者であっても闇の中を歩んでしまいます。そして喜びに満ち溢れることのない、いのちのない、かたちだけのクリスチャンになってしまうのです。
しかしヨハネは1章9節で「もし私たち自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます」と教えました。私たちは罪の問題に完全な解決を得て、喜びに満ち溢れる者とされるのです。
【2】 御父の前でとりなしてくださる方
ヨハネがこの手紙を執筆した目的は「あなたがたが罪を犯さないようになるため」でした。私たちが罪を犯さないようになるなんて、そんなことが果たして可能なのでしょうか。何と高い規準が私たちには求められていることでしょうか。
心配する必要はありません。ヨハネは続けてこのように教えているからです。「しかし、もしだれかが罪を犯したなら、私たちには、御父の前でとりなしてくださる方、義なるイエス・キリストがおられます(2)。」 どんなに努力しても、罪を犯してしまう私たちのために、イエス様がおられるのです。
イエス様は今、私たちのために何をしてくださっていますか。御父の前でとりなしてくださっています。「とりなしてくださる方」と訳されていることばは「パラクレートス」ということばです。これはヨハネの福音書14章では「もう一人の助け主」と訳され、聖霊のことを表していました。イエス様は助け主です。イエス様が助け主だからこそ、聖霊は「もう一人の助け主」なのです。
イエス様は私たちをどのように助けてくださるのでしょうか。まず私たちの側に立って、私たちのために、私たちを助けてくださいます。私たちの経験している苦しみをともに担ってくださいます。私たちのうめきを知ってともにうめいてくださいます。私たちの罪の重荷をともに背負ってくださるのです。
一方でイエス様は「義なるイエス・キリスト」です。義なる方なので神の近くに立つことができます。そして父なる神のすぐそばに立って、私たちに罪のさばきが及ばないように、私たちのためにとりなしてくださるのです。
私たちは救われた後もイエス・キリストが必要です。なぜならば救われた後も罪を犯し続けるからです。しかし義なるイエス・キリストが助け主となって父なる神様にとりなしをしてくださるから安心です。救われた後も変わらずに、イエス様に信頼し続けましょう。
【3】 罪のための宥めのささげ物
それにしてもなぜキリストに信頼すると罪は赦されるのでしょうか。そしてなぜキリストのとりなしは有効なのでしょうか。
それはこの方が私たちの罪のための、そして世全体の罪のための宥めのささげ物となってくださったからです(2)。聖なる神は人間の罪を決して見過ごしにはしません。罪に対しては激しく怒られます。それゆえに神の怒りを宥める宥めのささげ物が私たちには必要でした。
旧約聖書の時代、イスラエルの民は牛や羊やヤギなどの家畜を用意して、それらをほふって、罪の赦しのためのささげ物として神にささげました。神の怒りを宥めることによってのみ、民は神を礼拝することができ、神との親しい交わりに加えられたからです。
それでも人間の用意するささげ物は人間の罪を完全に取り除くことはできませんでした。それゆえに民は礼拝の度にいけにえを用意し、繰り返し御前にささげる必要があったのです。
しかし神は神の側で完全な宥めのささげ物を用意してくださいました。それがイエス・キリストです。バプテスマのヨハネはイエス様を見た時に、「見よ、世の罪を取り除く子羊」と叫びました(ヨハネ1:29)。この方こそ、私たちの罪のための、世全体の罪のための宥めのささげ物です。この方以外には救いはない、ということです。
私たちは救われましたが、私たちの救いはまだ完成していません。救いの完成を目指しましょう。私たちのために御前でとりなしてくださるイエス様に信頼して、罪を告白し続け、赦された者として喜びに満たされ歩んでいきましょう。