2025年7月13日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)
前回は2章1~2節より、私たちにイエス・キリストがおられる恵み、キリストが私たちの罪のための宥めのささげ物として神の御前にささげられた恵みについて学びました。
【1】 神を知っている人の特徴1:神の命令を守っている
このキリストと出会っている人には、ある特徴が見られることがわかります。それは神の命令を守るという特徴です。
「もし神の命令を守っているなら、それによって、自分が神を知っていることがわかります(3)。」
キリストと出会って神との親しい交わりに加えられた人に見られる特徴は、神の命令を守っていることです。神の命令を守っているというその姿によって、自分が神を知っていることがわかるのです。
キリストと出会う前には考えられなかった生き方だと思います。かつての私たちは自分の願うままに、自分自身の夢と希望を実現するために生きてきたのではなかったかと思います。神の命令を守る生き方など、とても窮屈な生き方に見えていたのではなかったでしょうか。
しかし私たちはキリストと出会って変わりました。キリストの十字架を信じる信仰によって救われるという大きな変化を経験して、神の命令を守る者に変えられました。その私たちにとって、神の命令を守ることは喜びです。それによって、自分が神を知っていることが分かるからです。
しかし、神を知っていると言いながら、神の命令を守っていないならば、その人は偽り者であり、その人のうちに真理はありません(4)。私たちは神の命令を守っているでしょうか。守ることが喜びとなっているでしょうか。つまり神を本当に知っているでしょうか。そのことが自分でもよくわかっているでしょうか。
【2】 神を知っている人の特徴2:神の愛が全うされている
神を知っている人にはもう一つの特徴が見られることがわかります。それは、その人のうちに神の愛が全うされていることです。
「しかし、だれでも神のことばを守っているなら、その人のうちには神の愛が確かに全うされているのです。それによって、自分が神のうちにいることが分かります(5)。」
イエス様は十字架で死なれる前に「完了した」と、お話しになられました。神の愛はあのイエス様が十字架上で死なれた時に全うされたのだと思います。しかしそれでも、神の愛が一人ひとりのうちで全うされたわけではありません。そのイエス様を救い主として信じ受け入れた時に、その人のうちで、神の愛が全うされるのです。
その時にその人にとって、神はもはや私たちの神ではありません。私の神、私の個人的な救い主です。その人は当然、神の愛に対する応答として神のみことばを守ります。真実な愛は、人の心に真実な愛を引き起こすのです。
そしてそれによって、自分が神のうちにいることがわかります。自分の全存在が神の御手の中に置かれています。この人は完全に神に信頼しています。そのような神のうちにある確かな平安で満たされるのです。
私たちには神を知っていること、神のうちにいることの確かな手ごたえがあるでしょうか。イエス様が命じられたように、私たちもぜひキリストにとどまりましょう。その時にキリストが私たちの中にとどまってくださいます(マタイ15:4)。そのようにして神のいのちに生かされる者となりたいと思います。
【3】 イエスが歩まれたように
神を知っている人、神のうちにいる人、神のうちにとどまっている人に求められていることが一つあります。それは自分もイエス様が歩まれたように歩むことです(6)。つまり私たちの目標はイエス様です。イエス様のようになれるように私たちは絶えず成長を求め続ける必要があります。
イエス様のように活動的になりなさい、という意味ではありません。これはイエス様が神と人とを愛されたように、愛において成長しなさいという意味です。
私たちは自分の愛のなさをよく知っています。イエス様が歩まれたようには、とても歩むことができません。しかし、イエス様は私たちのために「もう一人の助け主」である聖霊を送ってくださいました。しかもイエス様は今、父の御前で私たちのためにとりなしをしてくださっています。
パウロはひたすら成長を求め続けた人でした。「私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして追及しているのです。そして、それを得るようにと、キリスト・イエスが私を捕えてくださったのです(ピリピ2:12)。」
完全でないパウロが完全を目指し追及しているのは、それを得るようにとキリストがパウロを捕えてくださったからでした。神のうちにとどまり続ける私たちもキリストの御姿に変えられていきます。愛において成長し続けましょう。