2025年5月4日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)
今年度私たちは未来に向かっての教会の土台を築くために、教会について聖書から教えられていきたいと思います。「教会とは何か」について考える前に、私たちが確認しなければならないこと、それは「教会を建て上げるのは誰か」ということです。
【1】 教会を建て上げる主体としての聖霊
パウロは12章1節でコリントの教会の信徒たちに語りかけました。「さて、兄弟たち。御霊の賜物については、私はあなたがたに知らずにいてほしくありません。」 御霊のことがらについて知らないことが教会にとってとても大きな損失であり、残念なことであるとのパウロの強い気持ちが伝わってきます。
御霊についてパウロが強調しなければならない理由がありました。それは当時のコリントの教会が御霊によってではなく、人間の期待や願望によって建てられていたことです。それゆえに教会には分裂や分派が起こり、高ぶりや不品行、愛の欠如などの深刻な問題を抱えていました。それらの根本的な原因はみな、教会が聖霊の力によってではなく、人間の力によって建てられていたところにあったのです。
教会を建て上げるのは誰でしょうか。聖霊なる神様です。人間ではありません。教会が人間の働きになってしまう時、教会は祝福を失うのです。
【2】 過去との決別
続いてパウロはコリント教会の信徒たちに教えたことは、過去と決別することでした。「ご存じのとおり、あなたがたが異教徒であったときには、誘われるまま、ものを言えない偶像のところに引かれていきました(2)。」
コリントの信徒たちはかつて異教徒であり偶像礼拝者でした。しかも「ものを言えない偶像」に対する偶像礼拝者でした。ものを言えない、頼りにならない、そして生きていない偶像を崇拝する者たちだったのです。その「ものを言えない偶像」のところに彼らは誘われるままに、引かれていったのです。
「誘われるまま」と記されてありますので偶像にも魅力があり、それは彼らにある種の満足を与えてくれる存在だったのでしょう。しかし、その偶像のところに彼らは引かれていきました。有無を言わさず、選択の余地もなく、一方的に引かれていきました。彼らが偶像礼拝から逃れられない隷属状態に置かれていたことがわかります。
コリントの信者たちはイエス・キリストを信じ救われて、新しい人に変えられたはずです。信仰によって聖霊が与えられ、新しい性質に生かされる人に変えられました。それなのになぜパウロはここで、過去の話を持ち出す必要があったのでしょうか。それは救いが与えられてキリスト者とされた後も、過去と決別できていない人々がいたからです。クリスチャンになった後も、過去の古い生き方を引きずって離れられない生き方が教会に見られたからです。
教会は聖霊によって建てられると、聖書でどんなに教えられても、そのことを頭で理解し心で納得したとしても、もし私たちが過去の生き方を続けているとするならば、その真理はぼやけ、曖昧にされてしまいます。そして結果的に教会は自分の願望と期待のままに建てられてしまうことになるのです。
【3】 聖霊の働き
教会を建て上げるために排除すべき問題を提示した後で、パウロはいよいよ大切な真理へと私たちを導きます。パウロは語りました。
神の御霊によって語る者はだれも「イエスは、のろわれよ」と言うことはなく、また、聖霊によるのでなければ、だれも「イエスは主です」と言うことはできません(3)。
神の御霊によって語る者はだれも「イエスは、のろわれよ」と言うことはありません。つまり、御霊によって語る者は決して持論や自己主張を振りかざすことはありません。さらに聖霊によるのでなければ、だれも「イエスは主です」と言うことはできません。私たちの心からの信仰の告白を聖霊が与えます。私たちが聖霊に満たされる時に、私たちは与えられた信仰を力強く証しすることができるのです。
このような霊的な賜物は選ばれた特別な人にだけ与えられるのではありません。イエス・キリストを信じるすべての人に聖霊は等しく与えられます。聖霊に満たされたすべての信徒たちの信仰の告白の上に、教会は築かれていくのです。初代教会はそのようにして力強く建て上げられ、成長していきました。教会を建て上げるのは人間ではなく、聖霊なのです。
私たちは使徒信条で「我は聖霊を信ず」と告白した後で、「聖なる公同の教会を信ず」と告白します。この順番は大事です。聖霊を信ずるからこそ、私たちは教会を信ずることができます。教会を建て上げるのは聖霊であるとの信仰が、ここに告白されています。
私たちの期待や願望やこだわりによって教会が建てられてしまうことがないように、私たちは注意しましょう。聖霊に満たされた一人ひとりの信仰の告白の上に、教会が建てられていきますように。