ここにはおられません よみがえられたのです         ルカの福音書24章1~12節

2025年4月20日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)

【1】 イエスの死の証人
 ルカの福音書におけるイエス様の復活の記事は、以下のような一文から始まります。「週の初めの日の明け方早く、彼女たちは準備しておいた香料を持って墓に来た。」 「彼女たち」とはどの女性たちでしょうか。その前の23章55節に登場する「ガリラヤから来ていた女たち」のことです。この女たちは十字架上のイエス様の姿も離れたところから見ていましたし(49)、アリマタヤのヨセフについて行き、イエス様が埋葬される様子も見届けました(55)。イエス様の死の時も葬りの時も、そばにいた女性たちだったことがわかります。
 彼女たちはなぜガリラヤからイエス様について来たのでしょうか。それは、もちろんイエス様にお仕えするためです。彼女たちの多くは悪霊や病気を治してもらった女たちで、その代表は七つの悪霊をイエス様に追い出してもらったマグダラのマリアでした(8:2~3)。悪霊や病気を治してもらった時、彼女たちはどれだけ嬉しかったでしょうか。そのイエス様の愛に応えたいと願ったからこそ、彼女たちは最後までイエス様に仕え続けたのです。
 彼女たちはイエス様のからだに香料を塗るために、週の初めの日の明け方早く出発しました。せっかく朝早く駆け付けても、イエス様にお会いできる可能性はほとんどなかったと思います。お墓の前には女性たちにはとても動かすことのできない大きな石が置かれていました。そのことを彼女たちも実は知っていました。しかも墓石には封印がされ、ローマの番兵まで配置されていたのです。
 イエス様にお会いするのはほとんど無理だったと思います。しかしそれでも彼女たちはとにかく墓に駆け付けました。どうしてですか。生前に受けた愛に対してイエス様に感謝を表すためです。そしてイエス様にお別れをするためです。愛するイエス様を失って、彼女たちはとても心の整理がつけられなかったのではないでしょうか。愛する人を失うことが人にとっていかに大きな悲しみであるかを、私たちは女性たちの姿を通して教えられます。

【2】 イエスの復活の証人
 しかし彼女たちの悲しみは悲しみで終わりませんでした。墓に行って見ると、石が墓からわきに転がされていました。墓に中に入ってみると、イエス様のからだは見当たりません。彼女たちが途方に暮れていると、まばゆい心を着た人が二人、近くに来て言いました。「あなたがたは、どうして生きている方を死人の中に捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです(5~6)。」 イエス様が生きている? よみがえられた? そのように言われても彼女たちにはとても信じられませんでした。
 するとその二人の人は「まだガリラヤにおられたころ、主がお話しになったことを思い出しなさい」と言いました。イエス様がまだガリラヤにおられたころ、イエス様は確かにお話しになっておられました。人の子は必ず罪人たちの手に引き渡され、十字架につけられ、三日目によみがえる、ということを。そのイエス様のことばを彼女たちは思い出しました。確かにそのように言われていたのに、彼女たちはそのことばを本気で信じることができなかったのです。
その後、彼女たちは墓から戻って、11人の弟子たちとほかの人たち全員に、このことをすべて報告しました。マタイの福音書の記事を見ると、その途中でイエス様が彼女たちに現れてご自身を表してくださいました。さらにマクダラのマリアには個人的に現れてくださったことがヨハネの福音書の記事を読むとわかります。
 イエス様の復活の最初の証人となったのは、これらの女性たちでした。信仰と愛をもってご自身に仕える人々に、イエス様は親しくご自身を表してくださいます。ぜひ私たちはイエス様に心からお仕えしていきたいと思います。

【3】 復活の希望
 この女性たちもイエス様と実際にお会いするまで、復活の事実を信じることができませんでした。弟子たちに至っては彼女たちの話を聞いても、それがたわごとのように思えたと11節に記されています。弟子たちの中にはイエス様の復活を最後まで信じようとしなかったトマスのような人物もおりました。聖書が私たちに告げている一つのこと、それは復活は人間にはとても信じられないという事実です。その上で聖書がもう一つ伝えていること、それはそれにも関わらず復活は事実であり実際に起こったことである、ということです。
 現在の混乱と混迷の深まる世の中にあって、人間の愚かさや醜さも際立ってきています。もし私たちがこの世に目を向けていたら、私たちはすぐにでも絶望してしまいそうです。さらに私たちも心も身体もすこしずつ弱っていきます。健康も気力も生きる喜びも、それまで私たちが大切にしてきたものが年とともに次々と奪われていきます。その過程で私たちは希望まで失ってしまうのではないでしょうか。
 復活が私たちの希望です。イエス・キリストは墓を打ち破り、死に勝利して復活されました。キリストにある永遠のいのちを与えられた私たちもいつの日か復活します。そして栄光輝く、朽ちることのない新しい身体を与えられて、主イエス様とともに御国を治める者となります。この希望は決して失われることがありません。復活の主を心から賛美しましょう。