2025年4月13日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)
【1】 アリマタヤのヨセフ
前回はイエス様が最後の息を引き取る場面に注目しました。今日はイエス様が墓に埋葬される場面に注目したいと思います。
イエス様の埋葬を担った人物は誰だったでしょうか。ユダヤ人の町アリマタヤ出身のヨセフという人物であったことがわかります。この人はユダヤ議会の議員の一人で、善良で正しい人だったと記されています(50)。さらにマタイの福音書にはこの人が金持ちで、イエス様の弟子になっていたと記されています(27:57)。12弟子ではありませんでしたが、イエス様の弟子としてイエス様にお仕えしていた人物でした。
さらに51節にはこの人が神の国を待ち望んでいて、議員たちの計画や行動には同意していなかった、と記されています。「議員たちの計画や行動」とはイエス様を処刑する計画や行動という意味です。ユダヤ議会の中にも、このような人物がいたのだ、ということに私たちは気づかされます。ユダヤ議会の議員たちはイエス様を死刑にすることに必死でした。そのような意見が議会の大勢でした。その中にあってヨセフは自分の意見を主張することができなかったのです。しかし、彼の信仰がイエス様の死後に用いられることになりました。
このヨセフがローマ総督のピラトのところに行って、イエス様のからだの下げ渡しを願い出ました(52)。それはとても勇気を必要とする行動だったと思います。実際にマルコの福音書の記事を見ると彼は「勇気を出してピラトのところに行き、イエスからだの下げ渡しを願い出た」と記されています(15:43)。
その申し出は認められました。そこでヨセフはイエス様のからだを降ろして亜麻布で包み、まだだれも葬られていない、岩に掘った墓にイエス様のからだを収めました。アリマタヤのヨセフが聖書の中で登場するのは、このイエス様の埋葬の場面だけです。それゆえにヨセフは、イエス様を埋葬した男として、広く知られることとなりました。
【2】 ヨセフの勇気の理由
ヨセフが勇気を出して名乗り出てくれて、本当によかったと思います。もしヨセフが現れてくれなかったら、イエス様のからだはそのまま放置されて腐敗してしまったのではないでしょうか。その後ローマ兵によって無残に処理されてしまったかもしれません。しかもイエス様が墓を破って復活するという、それに続くみわざは起こりませんでした。それを考えるとヨセフの働きはとても大きかったことがわかります。
それにしてもヨセフはなぜ「勇気を出して」ピラトのところに行くことができたのでしょうか。イエス様の仲間であることがわかってしまったら、人々からどう見られてしまうでしょうか。ヨセフの評判に大きな影響が出てしまうのではないでしょうか。そのような状況にあってヨセフはなぜ、勇気を出すことができたのでしょうか。
それはやはり神様との関係を意識したからでしょう。ヨセフはユダヤ議員の一人です。ピラトのところにお願いしに行ける特権を彼は持っていました。しかも彼はイエス様の弟子として歩んできたのに、今まで人を恐れてイエス様に対する信仰を十分に表わすことができませんでした。そのような悔いも彼の中にはあったことでしょう。彼は神様が今、自分を必要としておられると感じたのではなかったでしょうか。それが神のみこころであると悟ったのではないでしょうか。そして信仰を持って勇気を出して一歩前に踏み出したのです。
【3】 適材適所で
主なる神様は私たちのことも適材適所で用いられる方です。私たちは時々、「わたしは信仰者としてふさわしくない」「私の信仰は不十分です」と言って、信仰の足りなさを言い訳にして、神の前に積極的になれない時があります。ヨセフはふさわしい信仰の持ち主だったのでしょうか。彼は臆病で、人の目を恐れて、信仰者であることを公に語ることのできない小心者でした。私たちもそんなヨセフを見て、「もっと早い段階で信仰を表せばよかったのに!」などと思ったりするのではないでしょうか。
そんなヨセフでありましたが、聖書は彼をとても高く評価しています。臆病で小心者で信仰の乏しいヨセフでしたが、そんなヨセフだからこそ神に用いられたのです。
【4】 むすび
神様が必要としている人はこの世の弱い人、信仰の乏しい人、取るに足りない人たちです。神様は強い人、優秀な人、自信に満ちた人を必要としません。よって信仰の弱さは、主に対する言い訳にはならないのです。むしろ信仰の弱さを言い訳にして自分自身の力に頼っている私たちの隠れた高ぶりこそが、問われなければなりません。
私たちは神様のご計画を意識したいと思います。その中で今まで守られ導かれてきたその導きに心を留めたいと思います。そしてその中で主が私たち一人一人に何を願っておられるのか、主のみこころに心を開きたいと思います。その時に主は私たちに勇気を与えてくださいます。新しい年度に私たちは信仰をもって、勇気を出して、前に踏み出していきましょう。