2025年3月30日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)
【1】 三本の十字架
イエス様が十字架刑にて処せられた時、両側に一人ずつ二人の犯罪人も一緒に処せられました。よってゴルゴダの丘には三本の十字架が立っていたということです。イエス様を処刑する際に、二人の犯罪人にはさまれるかたちにしたのは誰の発案だったでしょうか。詳しくはわかりませんが、イエス様が犯罪人であることを人々に強く印象づけるための方法だったと考えられます。
罪人たちの間にはさまれて十字架にはりつけになったイエス様の姿は、人間の目には惨めに見えます。しかし、実はこれは神のご計画通りでした。イエス様ご自身が、このように語っておられました。「あなたがたに言いますが、『彼は不法な者たちとともに数えられた』と書かれていること、それがわたしに必ず実現します(22:37)。」 イエス様は罪を一つも犯されなかったのに、「不法な者たちとともに数えられ」ました。罪人となられて神にさばかれることが神のみこころだったのです。
人間の目には敗北と見えるイエス様の十字架が、実は勝利だったのです。
【2】 イエスに対する二つの反応
イエス様が宣教活動を始められた後、イエス様を信じる人々が与えられた一方で、イエス様を拒絶する人々もいました。イエス様はいつも、人々の二つの反応を体験されてきたのです。それは十字架上でも同じでした。
一方にイエス様をののしる犯罪人がいました。彼はイエス様に向かって言いました。「おまえはキリストではないか。自分とおれたちを救え(39)。」 彼のこのことばからいくつかのことに気づかされます。まずこの犯罪人は神に対する恐れを持っていませんでした。この後、もう一人の犯罪人から「おまえは神を恐れないのか」とたしなめられている通りです。
さらに罪人としての自覚がありません。そしてイエス様に向かって「自分とおれたちを救え」と命令しています。明らかにイエス様より自分の方が上にいます。「おまえはキリストではないか」と口にしている割には、救い主に対する尊敬も従順もありません。想像するにこの人は自分の願望のままに生きてきた人だったのではないでしょうか。そのような自己中心の古い生き方と性質から、彼は最後まで離れることができなかったのです。
もう一方の犯罪人はイエス様に対する信頼があったことが、もう一人の犯罪人に話しかけた彼のことばからわかります。「おまえは神を恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けるのではないか。おれたちは、自分のしたことの報いを受けているのだから当たり前だ。だがこの方は、悪いことを何もしていない(40、41)。」
この犯罪人は神を恐れている人でした。同時に自分は罪人であるという自覚もはっきりと持っていました。どんな罪を犯したのかはわかりませんが、死刑にされて当然と思える罪を犯したことを認めています。
さらにこの人はイエス様が無罪であることも知っていました。自分を十字架につけた人々のために祈るイエス様の十字架上での祈りを聞いて、彼はイエス様が救い主であることを知ったのではなかったでしょうか。
私たちは果たしてこの二人の犯罪人のどちらに似ているでしょうか。神を恐れ、自らの罪を悔いて、救い主に信頼する犯罪人のようでしょうか。それとも神を恐れず、罪の自覚もなく、自己中心の性質から離れられないもう一人の犯罪人のようでしょうか。
【3】 イエスの反応
イエス様に心を寄せる犯罪人は最後にイエス様に語りかけました。「イエス様。あなたが御国に入られるときには、私を思い出してください。」 するとイエス様はこのように答えられました。「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」
「パラダイス」とはかつてエデンの園にあった「いのちの木」のある場所で(黙示録2:7)、天の御国を表しています。この人はそのパラダイスに移されたことがわかりますし、イエス様もそこでともにいます、とおっしゃってくださいました。しかも「今日、ともにいます」と語ってくださいました。これはこの犯罪人がこの時に救われたことの宣言です。この人にとって人生で一番必要なことばが、人生の最後の時に与えられたのです。
この人は自らの罪のために人生を台無しにした人でしたが、人生の最後の瞬間に救い主イエス様と出会い、救われました。彼は、十字架による救いをいただいた世界で最初の人物となったのです。
【4】 むすび
この箇所より私たちは二つのことを教えられます。第一にどんな罪人でも救われます。どんな極悪人でも、取り返しのつかないような大変大きな罪を犯した人でもイエス・キリストにすがる時、必ず救われます。
第二に死の直前でも救われます。人生の最後の瞬間までチャンスは残されています。生きている間は自分の価値観や哲学、こだわり、さらに世間体などに私たちは縛られています。しかし死を前にして、そんなことは言っていられません。どんな人にも救いと救い主が必要です。先にパラダイスに移された者として、イエス・キリストにある救いを宣べ伝えていきましょう。