2025年3月2日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)
パウロはローマ人への手紙5章1節で「私たちは信仰によって義と認められた」と記しています。イエス・キリストを信じる信仰によって義と認められる。この教えを「信仰義認」と呼びます。教会の歴史の中で長い間忘れられてきたこの真理を、マルチン・ルターが発見しました。その喜びが宗教改革を引き起こしたと言われています。信仰義認がもたらした喜びは世界の歴史を変えるほどの大きなエネルギを生み出したことが、歴史において示されています。
【1】 キリストの血のよって
9節でパウロは「義と認められた私たち」と語り、私たちが信仰により義と認められている事実を紹介しています。「義と認められる」とは、私たちが神に完全に受け入れられていることを表しています。
罪人である私たちが、それにも関わらず義と認められるとは、本来あってはいけないことです。罪を犯した罪人に対して裁判官が無罪判決を下さすことは、あってはいけないことだからです。それでは正義が歪められてしまいます。
そのあり得ないことが起こったのはどうしてでしょうか。パウロは「キリストの血によって義と認められた私たち」と語りました。キリストの血があったからこそ私たちは義と認められたし、もしキリストの血がなければ私たちは決して義と認められることはなかったのです。
「キリストの血」とはイエス・キリストが私たちの身代わりとなって十字架にかかり、血を流して死んでくださったことを表しています。そのイエス様を私たちが救い主として信じ受け入れる時に、私たちの罪のすべては赦されて、私たちは義と認められます。赦された者として主イエス・キリストとの親しい交わりの中に加えられます。信仰による義認とは、イエス・キリストの十字架によって私たちにもたらされた恵みなのです。
【2】 神の愛
それにしてもなぜ神は私たちのために十字架にかかり血を流す必要があったのでしょうか。それはイエス様が私たちを愛してくださったからです。
パウロは8節で「キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます」と語りました。人に気づかれることなく心の中でひそかに愛するという愛し方もありますが、愛はやはり明らかにされるものです。しかも、その人に対して払う犠牲の大きさに愛は現わされます。親は子どもが少なくとも成人するまでは多大な犠牲を払います。喜んで犠牲を払います。それは子どもに対する親の愛の現れなのです。
イエス様は私たちのために死なれました。私たちのためにいのちを捨てられました。それは私たちを愛しているから。十字架は神が私たちを愛していることを証ししています。
しかもパウロは「私たちがまだ罪人であったとき」に、キリストは私たちのために死なれたと語りました。私たちがわがままで、頑なで、自己中心で、神に背き反逆していた時に、それにも関わらずに私たちのために死んでくださいました。神の愛は私たちの態度によって変わったりしませんでした。そこに神の愛の大きさが表されています。
私たち一人ひとりは神に愛されています。仮に周りに自分を愛してくれる人が誰もいなかったとしても、神はあなたを愛しています。いのちを捨てるくらい愛しておられます。その愛を決して無駄にしないようにしましょう。この大きな愛を受けとめて、この方との愛の交わりをぜひ始めていきましょう。
【3】 確かな救い
神の大きな愛を受けて義と認められた私たちには、どんな祝福が約束されているでしょうか。パウロは「この方によって神の怒りから救われる」と続けて語りました。罪や死から救われるだけでなく神の怒りから救われることがわかります。神の大きな愛が示された後、神の怒りが示されていることに私たちは少なからずとまどいを覚えますが、この神の怒りをイエス様が一身に受けとめてくださった点に、神の愛の大きさが表されていることも忘れないようにしたいと思います。
ここで「救われる」と訳されていることばは未来形なので、これが未来に与えられる救いを表していることがわかります。私たちはやがて神の前に立たされる時がきます。そして与えられた人生をいかに生きたかの人生の清算をする時が必ずやってきます。信仰によって義と認められた人は、その時が来ても神の怒りに合う心配がありません。その希望は「なおいっそう確かなことです」とパウロは語りました。救いが確実であることがわかります。
【4】 むすび
私たちは私たちの人生のゴールを意識しながら歩んでいるでしょうか。やがて神の前に立たされる時が来ることを意識しながら、与えられた人生を歩んでいるでしょうか。そして、その時私たちは神の怒りから救われるでしょうか。その救いは確かでしょうか。
救い主イエス・キリストを自らの救い主として信じ受け入れましょう。そして罪赦された者として、義と認められた者として、救われた恵みに感謝しつつ歩んでいきましょう。