弱さは神の力   コリント人への手紙第二 12章1~10節

2025年3月23日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約 山村英夫 師

パウロは、自分が神さまからいただいた恵みがいかにすばらしいものであったのか、ということを表すために興味ある表現を用いています。まず1~4節で自分が神さまからいただいた経験を、三人称で表現しています。あたかも誰か他の人が経験したことのような表現を用いて、自分が神さまから与えていただいた経験が、どんなにすばらしいものであったのかを伝えようとしているのです。

 1~4節において「主の幻と啓示」の話題についてふれ、14年前に第三の天にまで引き上げられた人の事についてのべています。それが肉体のままだったのか、肉体を離れてであったのかは、明らかにしておりません。その人は「彼はパラダイスに引き上げられて、言い表すこともできない、人間が語ることを許されていない言葉を聞きました。」

これほどの経験は誰もができるものではなく、特別に選ばれた人にしかできないものです。そんな特別な事ができた自分を誇ったとしても、それは出過ぎたことをしたわけではありません。本当のことを言っているだけなのです。

 しかし、パウロはここで自分自身に戻り、誰かが自分を過大評価してしまうことのないように、誇ることを控えています。さらにパウロは、神さまが自分を取り扱ってくださった方法についても書いています。つまり、自分があまりにも誇りすぎて高慢にならないように、肉体に一つのとげを神さまから与えられたことをのべています。それはパウロが高慢にならないように、自分を打つためのサタンの使いであったのです。この使いを去らせていただくようにと、パウロは三度も主に願ったとあります。それは、何度も何度もこの事のために主に祈りつつ願い求めたということです。ところが、神さまの答えは「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さの内に完全に現れるからである。」というものでした。

 パウロはここで「弱さ」ということを教えられ、この弱さの中にこそ神さまの力が十分に現されているというのです。その結果、パウロは自分の力や自分が受けたすばらしさを誇るのではなく、神さまの力が働く場所である「弱さ」を誇るように導かれたのです。

 さて、パウロがここで言っている弱さとは何でしょうか。それは、まず神さまの力が完全に現される場所だということです。神さまの力は、人間の能力によって現わされるのではなく、神さまが働かれる場所である弱さの中に現わされるのです。これはマイナスがプラスに変えられるということができます。パウロはこれをピリピ人への手紙1章12節以降でこう表現しています。「さて、兄弟たち。私の身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったことを知ってほしいのです。……」パウロがこの時投獄されて事はマイナスの出来事です。伝道者パウロが自分の自由を奪われてしまい、福音を伝える働きの自由を奪われてしまうことです。しかし、結果は逆でした。マイナスになったのではなく、かえ

ってプラスになったのです。パウロの投獄を知ったその周りにいた人々が恐れることなく、パウロに代わって大胆にみことばを語るようになったということです。その結果、福音の前進につながっていったというのです。

 弱さの中に現わされる神さまの力は、人間の目にはマイナスに見えることを神さまはプラスに変えられるのです。そして、弱さに徹したとき私たちは神さまに信頼する信仰に徹していく事ができるようになるのです。