2025年2月23日 飯能キリスト聖園教会 主日礼拝説教要約(若井和生師)
ダニエルの信仰に注目したダニエル書前半の記事は、私たちにとっても心励まされる内容ですが、それは決して架空の物語ではなく歴史上で実際に起こった事実として紹介されています。さらにダニエル書は、ヨハネの黙示録にまでつながる神の救いの計画の全体像が示されているという意味で、とても大事な書物です。
【1】 歴史の支配者なる神
ベルシャツァル王の治世の第三年に、ダニエルは再び幻を見ました。それは一匹の雄羊と一匹の雄やぎについての幻でした。
まず一匹の雄羊が登場します。頭に二本の角を持ち、その角で西や北や南の方を突き、どんな獣も立ち向かうことのできない最強の雄羊でした。
その次に一匹の雄やぎが登場します。この雄やぎは全土を飛び回って西からやって来て、額に際立った一本の角を持っていました。そして雄羊に近づき、怒り狂って雄羊を打ち倒します。しかしこの雄やぎが高ぶった時にその角は折られ、その代わりに四本の角が生えてきました。
そのうちの一つから小さな角が生え出ると非常に大きくなり、天の軍勢に達して天の軍勢と星のいくつかを地に落として、踏みつける程になりました。さらに神の聖所を攻撃し、神を冒瀆し、真理を地に投げ捨てる程の横暴ぶりを示します。
その後この幻の説き明かしが御使いガブリエルによってなされますが、一匹の雄羊はメディアとペルシアを表し、雄やぎはギリシャを表していることがわかります。特に一本の角はアレキサンダー大王を表し、その後、四人の王によって帝国は分割され、その中でセレウコス朝シリアが成長していく様子が預言として描かれています。
その後の歴史の展開がダニエルの見た幻の通りに実現していくことに私たちは驚かされます。神は教会の中だけにおられるのではありません。全世界と歴史のすべてを統べ治めておられます。
【2】 高ぶりの危険
神は人類の営みと歴史を高みから傍観しているわけではありません。人間の歴史の中に介入される方です。
今日の箇所を通して、王たちの高ぶりがどんどん膨らんでいくことがわかります。雄羊は思いのままにふるまって高ぶりました。その後に現れた雄やぎは雄羊を打ち倒して非常に高ぶりました。そして最後に現れた一本の角の高ぶりは天にまで及び、神さえ冒瀆する程だったことがわかります。しかし彼らの高ぶりが大きくなったその時に神は必ず介入されて、彼らを退けられたのです。
なぜ彼らはこのように高ぶってしまうのでしょうか。それは思いのままに振舞えたからです。自分の思いをどこまでも貫けたからです。そのような制約を失った状態の中で、人の高ぶりは膨張を続け、天にまで及んでしまうのです。
私たちは普通様々な文化的・社会的制約を受けていますので、そこまで高ぶりが膨らんでいくことはないのかもしれません。しかし私たちの高ぶりは「自由になりたい!」「自分の思い通りにしたい!」という願望の中で、いつもくすぶっています。そして状況次第ではすぐに膨らんで自らの本当の姿を見失い、神に対する恐れさえ失ってしまうのです。
【3】 二千三百の夕と朝が過ぎるまで
最後に登場する一本の角は、最初小さな角だったのに急成長しました。その分、高ぶりも大きかったのでしょう。その高ぶりは天にまで及び、背きを行い、神の聖所を汚し、真理を地に投げ捨てました。しかも真理を投げ捨てたのに、この角は事を行って成功を収めました。真理を軽んじた上で成功を収めたのです。
このダニエルに示された幻はシリアの王アンティオコス・エピファネスの出現によって実現したと考えられます。エピファネスは神の律法を廃し、ユダヤの神殿にゼウス神の偶像を設置し、人々にそれを拝ませ、ユダヤ人の嫌う豚をささげて神を礼拝させたと言われています。「荒らす憎むべき者」と呼ばれ、ユダヤ人たちの憎しみを引き起こした支配者でした。
この幻が示された後、二人の聖なる者が現れて会話をしました。一人の聖なる者が「この幻は、いつまでのことか」と問いかけると、もう一人の聖なる者は「二千三百の夕と朝が過ぎるまで」と答えました。その後に聖所の正しさが確認される時が必ずやって来ることが預言されました。
【4】 むすび
神がある一定期間、悪がはびこる状況を許されている姿に私たちは驚かされます。この地上にあって私たちが問いかける問いは「なぜ神はこの地上で悪を許しておられるのか」というものではないでしょうか。しかし、天において交わされている問いかけは「いつまでのことか」という問いかけです。
悪がしばらくの間はびこる状態を神は許されます。しかし、それはいつまでも続くわけではありません。「聖所の正しさが確認される時」が必ずやって来ます。
イスラエルの民も苦難の時を強いられましたが、その中で実はメシア待望の信仰が深められました。苦しみの中でそれまで定まらなかった彼らの焦点が神ご自身に定められたのです。すべてが神の支配の中に治められています。この神にのみ栄光があるように、私たちは偉大な神に仕え続けたいと思います。