2025年11月2日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)
【1】 聖霊に教えられ続ける
「私はあなたがたを惑わす者たちについて、以上のことを書いてきました(26)。」 ヨハネはここに至るまで「反キリスト」や「偽り者」と呼ばれる「惑わす者たち」について書き記してきました。それは第一に、教会の信徒たちがそれらの惑わす者たちに惑わされないためです。しかし、それ以上に大切なことがありました。それは、彼らにはすでに素晴らしい神様からの祝福が与えられていること。それに気づいてもらいたくて、ヨハネはこの手紙を書きました。
「しかし、あなたがたのうちには、御子から受けた注ぎの油がとどまっているので、だれかに教えてもらう必要はありません。その注ぎの油が、すべてについてあなたがたに教えてくれます(27)。」
彼らにはすでに御子イエス・キリストから受けた「注ぎの油」がとどまっていました。「注ぎの油」ということばで表される聖霊が、豊かに注がれるように与えられていたのです。
それゆえに彼らは誰かに教えてもらう必要はありませんでした。聖霊が彼らに必要なことをすべて教えてくださるからです。惑わす者たちは、救いを得るために聖書だけでは不十分であり、もっと多くの新しい教えや知識が必要であると教えていました。しかし信仰者である彼らには、もはやその必要はなかったのです。彼らに求められていることは、すでに与えられている聖霊に心を開くこと、その聖霊を通して教えられ続けることだったのです。
私たちに聖霊が与えられているとは何と大きな祝福でしょうか。私たちは何か新しい真理を求める必要は、もはやありません。真理の御霊である聖霊に、豊かに教えていただきましょう。
【2】 キリストのうちにとどまる
ヨハネが次に命じたこと、それは「教えられたとおり、御子のうちにとどまる」ことでした(27)。同じ命令が二回繰り返されて、とても大事なメッセージであることがわかります(28)。
イエス様も「わたしにとどまりなさい」と命じられました(ヨハネ15:4)。 私たちはどうすれば、キリストのうちにとどまることができるのでしょうか。それも、聖霊が教えてくださることがわかります。私たちは「教えられたとおりに」、キリストのうちにとどまればいいのです。
ここで大事なのは「とどまる」ということばです。ヨハネはまず「初めから聞いていることを自分のうちにとどまらせなさい」と命じました(24)。次に「あなたがたのうちには、御子から受けた注ぎの油がとどまっている」と言いました(26)。さらに、「キリストのうちにとどまりなさい」と命じました(28)。「とどまらせなさい」→「とどまっている」→「とどまりなさい」の順番が大切です。
まず、みことばを私たちのうちにとどまらせることがスタートです。みことばを聞いて、そのみことばをしっかりと受けとめる時、私たちにとどまっている聖霊が、みことばの意味を私たちに悟らせてくださいます。そしてそのみことばと聖霊の導きによって、私たちはキリストのうちにとどまります。
聖霊が、聖書を読む際の私たちの教師です。聖霊が私たちにみことばを理解させてくれます。そして私たちの心とたましいは神様に開かれ、キリストとの生きた交わりに加えられます。そのような恵みへと、私たちは招かれているのです。
【3】 再臨の日の確信と平安
もし私たちがキリストのうちにとどまる時、その先にはどんな祝福が約束されているのでしょうか。キリストが現れる再臨の時に、私たちは確信を持って御前に立つことができ、恥じることがない、と教えられています(28)。
キリストの再臨の時とは、どのような時でしょうか。それは隠されている物がすべて明らかにされる時、神のさばきの時です。そのような時に確信を持って御前に立ち、平安でいられることなどあり得ません。私たちは生きている間に様々な罪を犯し続けてきたからです。
しかしそれにも関わらず私たちが確信を持っていられるのは、平安でいられるのはどうしてか。それはイエス・キリストの十字架の贖いのみわざのゆえに私たちの罪のすべてが赦され、私たちが義と認められ、神の子として御前に受け入れられているからです。私たちは御子と御父との交わりに加えられているゆえに、永遠のいのちが与えられているのです(24〜25)。
【4】 むすび
キリストのうちにとどまり、キリストのいのちに生かされる時、私たちは与えられた人生を、喜びを持って積極的に生きていくことができます。豊かな実を結び、再臨の時にも安心して御前に立ち、良い行いに励むことができます(29)。
私たちも今、惑わしの多い時代に生かされていますが、真理に立ち続け、御霊に教えられ続け、そしてキリストのうちにとどまり続けましょう。