神の愛を阻むもの           ヨハネの手紙第一2章15~17節

2025年10月5日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)

【1】 世を愛してはならない
 ヨハネは命じました。「あなたは世も世にあるものも、愛してはいけません(15)。」 聖書において「世」とは多くの場合、「罪に満ちる世界、サタンが支配する神に反逆する世界」を表します。私たちは信仰者としてこの世から隔離されて生きているわけではありません。信仰者としてこの世で生きていかなければなりませんし、この世が私たちの生活の場、人生の舞台です。その中にあって、この世と世にあるものを決して愛することがないように、よく注意する必要があるのです。

【2】 御父の愛がなくなるから
 なぜ世と世にあるものを愛してはならないのでしょうか。第一に、もし世を愛しているなら、その人のうちに御父の愛はないからです(15)。
 ヨハネは15節に先立つ14節において、彼がこの手紙を書いている理由について説明しました。「幼子たち。私があなたがたに書いてきたのは、あなたがたが、御父を知るようになったからです。」 ヨハネが彼らにこの手紙を書いてきたのは、彼らが父なる神を知るようになったこと、初めからおられる方を彼らが知るようになったこと、神のことばによって勝利者とされたことを彼らに思い起こさせるためでした。つまり、父なる神様の愛に生きる恵みと特権とを、彼らに伝えるためでした。
 その恵みと特権が、世と世にあるものを愛することによって失われてしまいます。御父を愛する愛も御父に愛され愛する愛の交わりも、それによってなくなってしまいます。それが彼らにとっては身近にある危険でした。
 なぜ世と世にあるものを愛すると、その人のうちに御父の愛はなくなってしまうのでしょうか。この世にはいったい何があるのでしょうか。この世にあるものは、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢であると、ヨハネは16節で続けました。しかも、それらはこの世にあるだけでなく、この世から出るものです。
 人間の心の中にある「欲」は必ずしも悪いものではありません。しかし、その「欲」がこの世からの誘惑や働きかけを受けて「肉の欲」に変えられてしまいます。しかも「肉の欲」は「目の欲」から始まります。エデンの園でエバも、善悪の知識の木の実を見た時にそれがとても好ましく見えたので、それを取って食べ、ともにいた夫にも与えてしまいました。
 さらに「肉の欲」は「暮らし向きの自慢」として結実します。肉の欲に支配された人は、神から与えられた恵みに感謝することを忘れ、自分で持っているものを誇り、おごり始めるのです。
 私たちは神と世の両方を愛することはできません。神か世のどちらかしか愛することができないのです。私たちは時々神を愛し、同時にこの世も愛したくなります。神への愛とこの世への愛が両立すると考え、両立することを願うのです。しかしその状態が聖書では「姦淫」「二心」ということばで表され、神が最も嫌われる人間の状態です。
 イエス様も教えておられます。「だれも二人の主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛することになるか、一方を重んじて他方を軽んじることになります。あなたがたは神と富とに仕えることはできません(マタイ6:24)。」 神は私たちとの愛の交わりを求めておられるのです。
 
【3】 世と世の欲は過ぎ去るから
 なぜ世と世にあるものを愛してはならないのでしょうか。第二番目に、世と世の欲は過ぎ去るからです(17)。それはいずれ過ぎ去って、消えてなくなってしまいます。一時的である、ということです。しかし、神のみこころを行う者は永遠に生き続けると、ヨハネは続けました。
 イエス様がこの地上で歩まれた時代に絶大な権力を誇ったローマ帝国は、その後滅んで、過ぎ去って行きました。その後、多くの帝国が次々と興りましたが、それらの栄華も繁栄もみな順番に過ぎ去っていきました。この世とこの世の欲は過ぎ去っていくのです。しかし、神のみこころを行う者は永遠に生き続けます。
 私たちに一つの選択が求められています。私たちは神のみこころを行いますか。それとも、世の欲に捕らわれて生きていきますか。両者の違いは岩の上に建てられた家と、砂の上に建てられた家の違いのようです(マタイ7)。神のことばを聞いて行う人は、岩の上に家を建てる人のようです。一方、神のことばに従わず自分の肉の思いのままに生きる人は、砂の上に家を建てる人のようです。
 どちらも立派な家を建てました。その違いはしばらくの間はわかりませんでした。雨が降って洪水が押し寄せるまでは。しかし、それが来た時に岩の上に土台が据えられていた家は倒れることなく、砂の上に建てられていた家は倒れて壊されてしまいました。危機的な状況の中にあって、真価が明かにされたのです。

【4】 むすび
 私たちは世と世にあるものを愛していないでしょうか。それは極めて危険なことです。せっかく与えられた神の愛に生きる喜びを、はかないこの世の欲によって奪われてはいけません。ぜひ神だけを愛し、神のみことばに聞き従い、御父と御子イエス・キリストとの豊かな交わりの中で喜びつつ歩んでいきましょう。