2025年1月26日 飯能キリスト聖園教会 主日礼拝説教要約(若井和生師)
ダニエルはまだ少年だった頃にイスラエルが滅ぼされ、バビロンに連行されてしまいました。一時は繁栄を極めたそのバビロンも、やがて滅ぼされてしまいます。ダニエルが仕える王もネブカドネツァルからベルシャツァルへ、そしてメディア人のダレイオスへと代わりました。かつて少年だったダニエルもこの時にはすでに80代の老人になっていたと考えられます。波乱に満ちた人生でした。
【1】 神に用いられる時
新しい王の統治の下、ダニエルがまた用いられる時がやって来ました。ダレイオス王は120名の太守を任命して国を治めさせ、彼らの上に三人の大臣を置きました。その中の一人としてダニエルが選ばれたのです(1)。
太守たちの上に三人の大臣を置いたのは太守たちがこの三人に報告を行い、王が損害を被らないようにするためでした(2)。この三人がいないと王は太守たちから損害を被る危険にさらされていた、ということです。ダレイオスの王としての立場は、不安定な基盤の上に成り立っていたことがわかります。それだけ王の信頼の厚い人物が大臣として選ばれたと考えられます。
その中でも王はとりわけダニエルを信頼しました。ダニエルがほかの大臣や太守よりも際立って秀でていたからです。なぜダニエルはこれ程優秀だったのでしょうか。彼のうちにすぐれた霊が宿っていたからだった、と記されています(3)。ネブカドネツァルやベルシャツァルにとってもそうだったように、ダレイオスにとってもダニエルは「聖なる神の霊が宿る人」だったのです。
聖霊に満たされ生かされる私たち信仰者の姿は、私たちの人間関係にも影響を及ぼすことがわかります。私たちはどれだけ周りの人々から信頼されているでしょうか。私たちもぜひ「聖なる神の霊が宿る人」として、成長させていただきたいと思います。
【2】 ダニエルに対する陰謀
王の絶大な信頼を寄せられるダニエルを見て、ほかの大臣や太守たちは心穏やかではいられませんでした。彼らは国政についてダニエルを訴える口実を見つけようとしましたが、何の口実も欠点も見つけることができませんでした。ダニエルが忠実で、何の怠慢も欠点も見つからなかったからです(4)。ダニエルが心から王に忠実に仕えていたことがわかります。
そこで彼らはダニエルをおとしめるための陰謀を企てました。真の神に忠実に仕えるダニエルの信仰を利用して、彼を失脚させようとしたのです。そのために彼らは王に働きかけました。今から三十日間、王以外のいかなる神にでも人にでも祈願する者は、だれでも獅子の穴に投げ込まれるという法令を作成し、王に署名させてしまいました。
ダニエル一人を失脚させるために大臣と太守が結託して王に働きかけ、国全体に影響を及ぼす法令を発令させてしまいました。何と大がかりのことを彼らはしているのでしょうか。しかし、それくらいダニエルは彼らにとって目障りな存在だった、ということです。この場面より私たちは、人間のねたみ心の凄まじさと恐ろしさを感じさせられます。
イエス・キリストを十字架に追いやったのも、祭司長、長老、律法学者らの凄まじいねたみ心でした。私たちは今、誰かをねたんでいないでしょうか。ねたみ心を隠し持っていないでしょうか。すぐに心を注ぎだして、神にその心を取り除いていただきましょう。
【3】 以前からしていたように
ダニエルはその文書に署名されたことを知って自分の家に帰りました。自分に対する恐ろしい陰謀が企てられていることをダニエルは知っていた、ということです。それはもし彼が今まで通り神に祈れば獅子の穴に投げ込まれることを自覚していた、ということです。そこで彼は祈ることをやめたでしょうか。
彼は以前からしていたように、日に三度ひざまずき、自分の神の前に祈って感謝をささげました。そのような法令が発令された後も、彼は祈ることをやめませんでした。どうしてですか。彼は祈りの素晴らしさを知っていたからです。少年だった頃から今日まで、彼を支え続けてきたのは神ご自身であり、その神とともに過ごす祈りの時間でした。このような厳しい状況の中にあってさえも、彼は祈る時、神に感謝することができました。そのかけがえのない時間を彼は決して奪われたくなかったのです。
彼の屋上の部屋の窓は、いつものようにエルサレムの方角に向いて開いていました。彼の心がいつも神の方に向いていたことを象徴的に表わしています。
【4】 むすび
私たちは果たして祈っているのでしょうか。祈りのない信仰はあり得ません。もし信じていれば私たちは必ず祈るはずです。
またその祈りは本当に祈りになっているでしょうか。生きる真の神との出会いが経験されるひと時となっているでしょうか。どんな境遇にあっても感謝が生まれてくる、そんな時になっているでしょうか。それともただ単に自分の願い事を聞いてもらっているだけでしょうか。ダニエルのように祈りの素晴らしさを体験しながら、神への信頼を日々養ってまいりましょう。