2024年9月8日 飯能キリスト聖園教会 主日礼拝説教要約(若井和生師)
【1】 信仰告白
コロナ・ウィルスの影響を受けていた三年程の間に、私たちはいろいろ学んだことがあったように思います。そのうちの一つは、イベントに依存した伝道はもろい、ということです。あの期間、教会ではサラダ・パーティーも伝道集会もクリスマス集会もすべて中止になってしまいました。礼拝を維持させることがやっとで、教会に人を集めて開催するイベントや大きな集会は全部できなくなってしまいました。その結果、教会の伝道活動はあの三年間、停滞してしまったのではないでしょうか。
時が悪くなると伝道が止まってしまうような教会であってはいけません。なぜなら私たちは「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい」と主から命じられているからです。(Ⅱテモテ4:2)
時が悪くても教会がみことばを宣べ伝えるためには、どうすればよいのでしょうか。やはり一人ひとりの信徒たちが、それぞれの置かれた家庭や職場や地域で信仰を証しできるようになること。それに尽きると思いました。しかし信じているのに何を信じているのかがわからない、それゆえに、自分の信仰を告白できないという課題を抱えていることが、私たちには多いのではないでしょうか。
【2】 すぐ身近にあるみことば
パウロはローマ人への手紙10章8節で申命記30章14節を引用しながら「みことばは、あなたの近くに、あなたの口にあり、あなたの心にある」と語りました。これは「みことばはあなたの耳元で語られ、あなたの口で告白できるくらいよく理解され、そして、あなたの心の中で生きている」という意味です。そしてそれは「信仰のことば」、つまり私たちを神への信仰へと導くことばでした。
私たちを救いへと導く真理は、どこか遠くにあるのではありません。みことばは、私たちのすぐそばで語られています。しかもパウロはここで「あなたの近く」「あなたの口」「あなたの心」と語りました。「あなたの」ということばを三回繰り返しました。これはみことばが個人的に、直接的に、親しく語られているということです。
そのみことばによって私たちは神への信頼へと導かれていきます。「信じる」とは、「信頼する」ことです。神を信頼して信じ、信じてさらに信頼が深まります。そのようにして私たちは神との関係の中で、信仰を告白する者へと変えられていきます。信仰を告白する力も、すべて神からやって来るからです。
【3】 口で告白し、心で信じる
みことばに私たちが心を開き、そのみことばに信頼する時に私たちは二つのことを経験します。二つと言っても、一つのことの両面と言った方が的確です。外面で起きることと内面で起きることの両方があるのです。
外面において私たちは口で「イエスは主です」と告白します。イエス・キリストが私の救い主であると、私たちは告白するのです。そう告白される時に内面では何が起きているのでしょうか。私たちは、心で「神はイエスを死者の中からよみがえらせた」と信じます。イエス・キリストの十字架と復活を信じるように導かれたのです。内面では信仰が生まれ、外面においてその信仰は告白されます。それが救われた人の姿です。
人は心で信じて義と認められ、口で告白して救われます(10)。私たちの罪のために十字架で死なれ、その後復活されたイエス様を信じることによって私たちは義と認められ、この方を主であると告白して私たちは救われます。信仰と告白は一つです。この二つは切り離せません。信じた結果として、私たちは告白する者に変えられるのです。
ヨハネの福音書4章に記されるサマリヤの女は、以前何度も結婚に失敗して、そして今も夫ではない男と一緒に生活している状態でした。そのような不幸な過去のゆえに人々から虐げられ、人目を恐れて生きていくだけの日陰の女性だったのです。しかし、そのサマリヤの女がイエス様と出会った後に変えられました。町に行き、人々の前で「来て、見てください。私がしたことを、すべて私に話した人がいます。もしかすると、この方がキリストなのでしょうか。(ヨハネ4:29)」とイエス・キリストを証しする人に変えられました。イエス・キリストとの出会いがイエスを信じ、その信仰を告白する者へと彼女を変えたのです。
【4】 むすび
古代教会には「伝道集会」も「リバイバル集会」もなかったそうです。無名のキリスト者による信仰の証しによって福音は伝えられ、救われる方々が多く起こされました。私たちが伝道を志す時に方法や手段だけが重視されることがないように、一番大事なことが軽んじられることがないように、注意したいと思います。
私たちの近くで語られているみことばに、私たちが耳を傾ける時に、私たちはイエス・キリストとの出会いに導かれます。そしてイエスを心で信じ、その信仰を告白する者へ変えられていきます。そのような私たちの生きた証しによって、福音が宣べ伝えられることを主も願っておられるのではないでしょうか。
願わくは、私たちがみことばの導きの中で、主と親しく出会うことができますように。イエス・キリストの十字架と復活によって義と認められた恵みに生かされますように。そして大胆に主を告白する者にしていただきましょう。