2024年9月29日 飯能キリスト聖園教会 帰天記念礼拝説教要約(若井和生師)
本日は先に天に帰られた帰天者の方々を特別に偲ぶ帰天記念礼拝です。帰天者の皆さんは私たちに、何を残してくださったのでしょうか。旧約聖書の信仰者たちの姿から、帰天者の生き方を学んでいきたいと思います。
【1】 信仰の人として死んだ
「これらの人たちはみな、信仰の人として死にました」と13節に記されています。へブル11章には旧約聖書の信仰者たちの生きる姿が、多く示されています。アベル、エノク、ノア、アブラハム…これらの人々は中身こそ違いますが皆、信仰によって生きた人々でした。よって13節において「これらの人たちはみな、信仰の人として生きました」と記してもよかったのではないかと思います。
ところがこの手紙の著者はそこで「これらの人たちはみな、信仰の人として死にました」と書き記しました。最終的に大事なのは信仰の人として死んだかどうか、つまり、死ぬ時に信仰をもっていたかどうか、であることがわかります。
帰天者の方々の中には死の直前に、あるいは死に際に信仰に導かれた方もおられたかもしれません。人生の最後の瞬間に信仰が与えられてよかったです。イエス様とともに十字架につけられた犯罪人の一人も、自らの死の直前にイエス様を信じました。彼に向かってイエス様は言われました。「あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます(ルカ23:43)。」 信仰の人として死ぬ時、人はパラダイスに導かれるのです。
【2】 旅人として生きた
神がアブラハムを召し出された時、神は彼に相続財産として受け取るべき地に出て行くようにと命じられました(8)。アブラハムは行き先を知らずに出て行ったのですが、約束の地を相続するという約束は与えられていたことがわかります。旧約聖書の信仰者たちはその約束のものを手に入れることはできませんでした。しかし、はるか遠くにそれを見て喜び迎えました。そのようにして地上では旅人であり、寄留者であることを告白しながら生きたのです(13)。
当時のユダヤ社会で「旅人」とは異国人という意味で、これは野蛮人と同じような意味でした。憎悪と軽蔑の対象だったのです。「寄留者」ということばも「よそ者」という意味が含まれていました。この地上は彼らにとって必ずしも居心地のよい場所ではなかったのです。しかし、彼らはこの地上にしがみつく生き方をしませんでした。たえず天を仰ぎながら生きたのです。
帰天者の皆さんもこの地上にあって旅人として、寄留者として歩まれました。彼らにとってこの世は仮の宿に過ぎなかったのです。天を仰ぎながら、天を目指して歩まれました。私たちも帰天者の皆さんの姿に倣いたいと思います。
【3】 天の故郷に帰った
旧約聖書の信仰者たちは自分の故郷を求めながら歩みました。それは自分が出て来たこの地上の故郷ではありません。天の故郷です。そして、その天の故郷とは「もっと良い故郷」と呼ばれる故郷です(16)。地上の故郷と比べて、どの辺が「もっと良い」のでしょうか。
故郷とは第一に変わらない場所です。いつ帰ってもそこには変わらない風景があり、変わらない人々がいます。この世は目まぐるしく変わってしまうのですが故郷は変わりません。それが故郷の素晴らしいところです。ただし実際には、この地上の故郷は変わってしまうことがあります。懐かしい故郷がさびれてしまったり、荒れ果ててしまったり、消滅したりすることもあります。しかし天の故郷は変わることがありません。永遠に変わらない故郷なのです。
第二に、故郷とは安心できる場所です。正月に、あるいはお盆の頃に人々が故郷に帰るのはおそらく安心するためです。緊張が強いられる都会での生活からひと時解放されて故郷に帰り、安心感を得ることができます。だから故郷は素晴らしいのです。ただし人によって故郷は必ずしも安心できる場所ではありません。思い出したくもない忌まわしい過去を思い出す場所であるかもしれません。安心ではなく緊張を強いられる場合もあるのです。しかし天の故郷は安心できる場所です。そこには神が私たちとともにおられ、もはや死もなく、悲しみも、叫び声も、苦しみさえもないからです(黙示録21:4)。
第三に、故郷とは家族団欒の場所です。家族が集まって懐かしい再会を果たす場所です。だから故郷は素晴らしいのです。ただこの世では家族や友人との悲しい離別を経験しなければなりません。懐かしい家族も友人も皆いなくなってしまった、との寂しさをこの地上では味わうこともあるのです。しかし天の故郷ではそんな悲しみはありません。むしろ、もう一度再会を喜ぶことができます。先に天に帰られた信仰の家族とも、もう一度そこでお会いするのです。
天の故郷とは何と素晴らしい故郷でしょうか。この故郷が私たちを待っているのです。帰天者の皆さんはこの故郷に先にお帰りになられました。羨ましい!
【4】 むすび
私たちも是非、信仰の人として死にましょう。そのために地上では旅人として、寄留者として歩みましょう。そして天の故郷に憧れながら、この故郷を目指して歩みましょう。そのようにして与えられた人生を、信仰によって全うしようではありませんか。