2024年9月1日 飯能キリスト聖園教会 主日礼拝説教要約(若井和生師)
【1】 ゴールから目を離さない
「私が世を去る時が来ました(6)。」 テモテへの手紙第二は、パウロの絶筆と言われています。パウロの人生は終わりを迎えようとしていました。その際にパウロは次のように語っています。
「私は勇敢に戦い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました(7)。」
このことばに、人生を全うしたことに対するパウロの満足感があふれています。人生を振り返っていっさいの悔いも後悔もありません。死に対する恐怖さえありません。人生の最後の瞬間にこのように告白できるとは、何と素晴らしいことではないでしょうか。
なぜパウロはこのように告白できたのでしょうか。それはパウロが人生のゴールから目を離さなかったからです。自らの人生の最後に何が待っているのか、そのゴールを絶えず見続けました。それがパウロの若い頃からの生き方でした。
私たちの中で人生のゴールが絶えず意識されているでしょうか。人生のゴールを覚え続けるということが、今与えられている時を無駄にしないために、しっかりと生きるために大切なことなのです。
【2】 ゴールで待っているもの①:神のさばき
パウロの人生のゴールには何が待っていたのでしょうか。第一番目に、神のさばきが待っていました。
「神の御前で、また、生きている人と死んだ人をさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現れとその御国を思いながら、私は厳かに命じます(1)。」
やがてさばき主なるキリストが来られ、その時に御国が完成します。その時にキリストは生きている人と死んだ人をさばかれます。そのような厳粛な瞬間がやって来ることを意識しながら、パウロはずっと生きてきたのです。
そのゴールを意識する時に、今しなければならないことは明らかでした。それはみことばを宣べ伝えること。よって、パウロはテモテに命じました。「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい(2)。」 神のさばきの時が迫っています。その日に向けて私たちも宣教のわざに励まなければなりません。
【3】 ゴールで待っているもの②:義の栄冠
パウロの人生のゴールには何が待っていたのでしょうか。二番目に義の栄冠が待っていました。
「あとは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。その日には、正しいさばき主である主が、それを私に授けてくださいます。私だけでなく、主の現れを慕い求めている人には、だれにでも授けてくださるのです。(8)」
義の栄冠は「しぼむことのない栄光の冠(Ⅰペテロ5:4)」「いのちの冠(黙示録2:10)」とも言い表されています。それは困難や苦しみの中にあっても忠実に神に仕えてきた信仰者たちに与えられる神の祝福のしるしであることがわかります。
パウロはこの栄冠を目指して戦い続け、走り続け、そして信仰を守り通してきました。多くの困難や苦難を経験しながらも、やがて主からいただける天の報いから目を離さずに期待し続けました。神は最後まで忠実な者に素晴らしい祝福を約束してくださっているのです。
苦難によって実は私たちの目標が定まります。苦難にあずかればあずかるほど、キリストの栄光が現れる時には歓喜にあふれて喜ぶのです(Ⅰペテロ4:13)。
【4】 次世代へのエール
ゴールを間近にするパウロには、たった一つだけ心配事がありました。それはテモテのことです。これから厳しい時代がやって来ます。パウロの時代はもうすぐ終わりです。しかしテモテは、これからの厳しい時代を生きていかなければなりません。
そのテモテを励ますためにパウロはこの手紙を書き、この励ましのことばを書き残しました。それは次世代の信仰者たちに対するエールです。困難と苦難の中にあってもゴールから目を離してはなりません。かならず義の栄冠が待っているから、とパウロはテモテを励ましているのです。
教会の素晴らしいところは、年配者と若い方々が生活をともにしているところです。信仰の年配者たちは次世代を担う若者たちに、エールを送らなければなりません。そのために最後までゴールを目指して走り続けましょう。栄冠を目ざし走り続けるその姿を示しましょう。ゴールから目を離さないその信仰者としての姿は、どれだけ若者たちを励ますことでしょうか。そのように私たちはぜひ、次の世代を担う若者たちの励ましとなりたいと思います。