霊の家に築き上げられる          ペテロの手紙第一2章4~6節

2024年8月18日 飯能キリスト聖園教会 主日礼拝説教要約(若井和生師)

【1】 信じる対象としての教会
 私たちは礼拝の度に使徒信条を通して「我は聖なる公同の教会を信ず」と告白します。「神を信じます」「キリストを信じます」と何のわだかまりもなく告白できる私たちですが、教会に関してはどうでしょうか。「教会をとても信じられない」と感じている方々が、信仰者の中にも多くおられるようです。
 私たちはどうして「教会を信じる」と告白できるのでしょうか。そう告白できる時の教会とは、どのような意味でしょうか。そもそも私たちは、教会についてどれだけ理解できているのでしょうか。 

【2】 教会は霊の家
 私たちはなぜ教会を信じることができるのでしょうか。一番目に教会は「霊の家」だからです。ペテロは2章5節で教会のことを「霊の家」と呼びました。これは「神の宮」という意味です。教会とは目に見えない神が住んでおられ、ご自身の臨在を表される場所です。
 私たちはなぜ教会を繰り返し掃除したり、きれいに整えたりするのでしょうか。教会に来てくださる方々に喜んでもらうためでしょうか。それも大事かもしれません。しかしもっと大事なことは神の宮としてのよそおいを整えるためです。
 私たちは教会が知らず知らずのうちに神のための家ではなく、人のための家になってしまわないように注意しなければなりません。自分たちの活動の拠点、自分たちにとって居心地のよう居場所…等、人間の必要が満たされるだけの場所になってしまわないように気をつけましょう。主が住んでくださる場所として教会を大切にし、整えていきましょう。

【3】 生ける石として築き上げられる
 なぜ私たちは教会を信じることができるのでしょうか。二番目に教会を築き上げているのは神ご自身だからです。
 教会は神によって、どのようにして造られていくのでしょうか。

「あなたがた自身も生ける石として霊の家に築き上げられ…(5)」

 教会は、多くの石を組み合わせて築き上げられる家のようにして造られていくことがわかります。私たちは石のような存在です。単なる石ではありません。生ける石です。どうして私たちは生ける石とされたのでしょうか。それは「人には捨てられたが神には選ばれた尊い石(4)」である主イエス・キリストにつながったからです。この方が私たちにとっての要石となってくださいました(6)。その尊い要石であるイエス・キリストを土台として私たちが建てられているからこそ、私たちは今、生ける石とされたのです。
 その生ける石が一つ一つ組み合わされることによって、全体として一つの家が建てられていきます。私たちはみなふぞろいで、でこぼこの石なので、とても人と組み合うことができません。自己中心でこだわりの強い一人ひとりなので、なかなか互いに組み合って一つとされることが難しいのです。
この手紙の著者のペテロはそのことをよく承知していました。それゆえにみことばを慕い求めて成長していくこと(2)、主がいつくしみ深い方であることを味わうことが必要であること(3)をあらかじめ、教えています。そして主に信頼することの大切さを伝えました(6)。
私たちもよく覚えたいと思います。教会の建設者は神であり、私たちはその神に用いられる建築資材です。私たちに求められるのは主に信頼することなのです。

【4】 聖なる祭司となる
 私たちはなぜ教会を信じることができるのか、三番目のこと、それは教会に委ねられたつとめが尊いからです。私たちは何のために教会として築き上げられているのでしょうか。それは聖なる祭司となって、神に喜ばれる霊のいけにえをイエス・キリストを通して神にささげるためです。
 私たちは神に選ばれて教会のメンバーとなり、そして祭司となりました。祭司のつとめは神に喜ばれるいけにえを、神にささげることです。私たちは自分自身を神にささげて神を礼拝します。そして賛美のいけにを御前にささげ、心を注ぎ出して神に祈ります。教会で神と出会い、自らの身をささげて神を礼拝し、神に仕えます。
 つまり教会の中心は礼拝にあります。これが私たちが教会とされた目的です。この目的を見失う時、教会はいのちを失い祝福を失うのです。

【5】 むすび
 私たちは教会を構成するために、ともに集められました。しかしまだ建設途上です。未完成な状態です。しかし共に完成を目指していきましょう。
 私たちの交わりに主が臨在し、主が私たちを通して豊かに現わされますように。そのために主に信頼しましょう。建設者である主の御手の中で私たち一人ひとりを整えていただき、しっかりと組み合わせてもらい、そして素晴らしい霊の家に築き上げていただきましょう。