多くの罪を覆う愛            ヤコブの手紙5章17~20節

2024年6月9日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)

【1】 エリヤのように
 「正しい人の祈りは、働くと大きな力があります(16)。」 前回は信仰の祈り、正しい人の祈りには力がある、という励ましのメッセージをいただきました。祈りに関するヤコブの励ましはさらに続きます。旧約聖書の預言者エリヤの祈りの姿を通して、信仰者たちの祈りを励まそうとしていることがわかります。
 エリヤは雨が降らないように熱心に祈りました。すると三年六か月の間、雨は地に降りませんでした。そして彼が再び祈ると、天は雨を降らせました。エリヤの祈りが実によく聞かれたということがわかります。
 そのエリヤの祈りの姿を紹介する前にヤコブはエリヤについて、「私たちと同じ人間でした」とあらかじめ語っています。エリヤは旧約聖書の中ではモーセと並ぶ重要人物として知られていました。ユダヤ人たちが心から尊敬する偉大な信仰者だったのです。
 そのエリヤが祈りに関しては、私たちと全く同じであるとヤコブは言いました。これは誰もが祈りにおいてエリヤのような体験をすることができる、という意味です。すべての人が等しく神に祈ることができます。誰もがエリヤのように熱心に神に祈り、祈りの力を体験することができます。ぜひ私たちもエリヤのように神を信じて、神に向かって、神に信頼して祈っていきましょう。

【2】 天の恵み、地の喜び
 エリヤは確かに祈りの人でしたが、エリヤの祈りのエピソードであれば、もっと有名な話が他にあるように思います。カルメル山の上でバアルの預言者たちと闘った時、神がエリヤの祈りを聞いてくださって天から火を送ってくださった話(Ⅰ列王18の36~37)や、エリヤの祈りによってツァレファテのやもめの息子が生き返った話(Ⅰ列王17の20~21)の例などもあります。
 しかしヤコブはエリヤの祈りによって雨が降らなかったり、降ったりした話をここで紹介しました。ヤコブは「すると、天は雨を降らせ、地はその実を実らせました」と語りました。エリヤの祈りの結果、天が雨を降らせ、地は実を豊かに実らせた神の祝福の広がりを伝えました。祈りによって病人が息を吹き返していくのは、まさに神の恵みが及んだ結果であったことを、ヤコブはこの話で伝えようとしたのです。
 ここには天と地、神と人との麗しい関係が示されています。天からの恵みをいただいて、いのちと喜びにあふれる地の姿がここで表されています。病の人も、そうでない人も、私たちに必要なのは天から注がれる恵みの雨です。天からの恵みをいただくからこそ、私たちはいのちと喜びに満ち溢れます。神の恵みを求める者となりたいと思います。

【3】 多くの罪を覆う愛
 このような力強い励ましをいただいて、私たちは何のために祈るでしょうか。もちろん私たちは病の方々の癒しと快復のために祈ります。しかし、病とは肉体の病だけに限定されるものではありません。心の病があり、神との関係の歪みから来るたましいの病もあります。そのすべての病の癒しのために、私たちは祈る必要があります。
 ヤコブはこの手紙の最後に、真理から迷い出た者を連れ戻すようにとの励ましのメッセージを語りました。当時、厳しい試練の中にあって真理から迷い出てしまい、教会から離れてしまった人々がいたことがわかります。彼らは真理から迷い出た結果、罪人の迷いの道を歩んでいる人々です。そこには迷いがあります。かつての私たちがそうだったように、彼らは「羊のようにさまよい、自分勝手に道に向かって行った(イザヤ53の6)」のです。その人々に対する愛と配慮を持ち続けるように、ヤコブは彼らを励ましました。
 真理から迷い出た彼らをもし誰かが連れ戻すことができた時、彼らは何をしたことになるのでしょうか。第一にその人のたましいを死から救い出すことになります。それは彼らを死から救い出す行為なのです。そして、その結果多くの罪をおおうことになります。ペテロも第一ペテロ4章8節で「互いに愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆う」と教えました。
罪を覆うとは、その人を愛し、その人の罪を赦すことです。その人を決して責めたり攻撃したりしません。まず神が私たちを愛してくださいました。神に無条件に愛され赦されたことのゆえに、私たちは人の罪を覆うことができるのです。

【4】 むすび
 日本の教会では、せっかく信仰が与えられたのに教会を去り、信仰を失ってしまう人が少なくない、と言われています。教会が躓きの原因になっている場合もあります。そのような時に人々を連れ戻す行為は、互いに痛みを負っているがゆえに困難が伴う場合があります。
 しかし私たちは祈りから始めなければなりません。信仰による祈りは病んでいる人を救うことができます。病んでいるのは私たちも同じです。私たちも天の恵みの雨を受けて、神の愛といのちに生かされる必要があるのです。
罪人のたましいを死から救い出すことができますように、そして多くの罪をおおうことができますように、私たちはさらに恵みの雨を求め続けたいと思います。恵みを受けて、そこに生まれる神の愛といのちに生かされようではありませんか。