祈りの力              ヤコブの手紙5章13~16節

2024年6月2日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)

 ヤコブの手紙からの説教もいよいよ終わりに近づきました。ヤコブによる最後のメッセージは祈りについてのメッセージであることがわかります。離散していて普段関わることのできない信仰者たちに対してヤコブが願ったこと、それは祈ること、そして祈りの力を知ってほしい、とのことでした。

【1】 苦しい人は祈り、喜んでいる人は賛美
 ヤコブは「あなたがたの中に苦しんでいる人がいれば、その人は祈りなさい。喜んでいる人がいれば、その人は賛美しなさい」と命じました。群れの中に苦しんでいる人と、喜んでいる人の両方がいた、ということがわかります。
 同じ交わりの中で境遇の違う人がいると、どんなことが起きるでしょうか。苦しんでいる人は、喜んでいる人を見ると寂しくなります。辛くなります。そして、そこから、ひがみや嫉妬のような感情が生まれてきてしまうこともあります。喜んでいる人もそのことがわかると、喜ぶことに申し訳なさを感じてしまいます。素直に喜ぶことができなくなってしまいます。その結果、兄弟姉妹が心を一つにできなくなってしまうのです。
 しかし、ヤコブは苦しんでいる人は祈りなさい、喜んでいる人は賛美しなさいと命じました。祈りと賛美の違いはあるものの、共に主を仰ぎ、主に向かって心を開きなさいとの励ましです。境遇の違いに関係なく、共に主を仰ぐことができるからです。
 どんな時にも私たちは主に向かって心を開き、主に受け入れられていること、主に愛されていること、主とともにあることを心の深いところで喜ぶことができます。その喜びにおいて、私たちは互いに一つとなれるのです。

【2】 病気の人に必要な祈り
 ヤコブは続けて「あなたがたのうちに病気の人がいれば」と語りました。彼らの群れの中に病気の人もいた、ということがわかります。その人のためには教会の長老たちを招き、主の御名によって祈ってもらったり、オリーブ油を塗ってもらうようにヤコブは命じています。
 病気の人はおそらく自分では祈ることができなかったのではないでしょうか。その人のためには教会のリーダーたちである長老たちに祈ってもらうことが大事でした。
 教会の中には祈ることもできないくらい落ち込んだり、元気を失っている人がいます。その人のためには祈ってくれる人が必要です。私たちは教会の祈りによって支えられるのです。

【3】 祈りの力
 その上でヤコブは「信仰による祈りは、病んでいる人を救います」と語り、彼らを励ましました。ここで語られている救いとは、どのような救いでしょうか。第一に病の癒しです。次に主がその人を立ち上がらせてくださいます。さらに、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。病の癒し、心と身体の快復、罪の赦しのすべてが「救い」の中に含まれているのです。
 「信仰による祈り」ということばからは、「信仰の伴わない祈り」があることも意識されます。それは対象の定まらない祈り、形式的で心の伴っていない祈り、すぐにあきらめてしまう単発の祈りなどです。私たちの祈りは本当に「信仰による祈り」になっているのでしょうか。信じて祈っているのでしょうか。信仰による祈りは人を救いに導くということを、私たちは信じたいと思います。

【4】 正しい人の祈り
 私たちの祈りが大きな働きをするためには、具体的にどのような取り組みが必要でしょうか。「あなたがたは癒されるために、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、働くと大きな力があります」。まずは互いに罪を言い表すことです。私たちの罪が祈りの障害になってしまうからです。
 さらに互いのために祈ります。自分のためだけでなく互いのために祈る、祈りの交わりが必要だということです。「正しい人の祈りは、働くと大きな力があります」とヤコブは続けて語りました。神との正しい関係に生かされている人の祈りは力があります。大きな働きをします。大事なことは神との正しい関係を築くということ。神との祈りの関係の祝福は、互いの兄弟姉妹との祈りの関係へと広ぎられ、さらにそのような祈りの交わりに支えられ、私たちと神との関係もますます祝福されていくのです。

【5】 むすび
 小林鏡子先生と軍地光子先生が学ばれた須賀川の東北聖書学塾は、素晴らしい「祈りの学校」でした。その学び舎で学ばれたお二人の先生方が、この地で祈りによって「祈りの園」を築かれました。それが私たちの「飯能キリスト聖園教会」です。この教会に加えられた者として、私たちは祈りの力を豊かに経験したいと思います。祈りの教会として成長していきましょう。主に向かって真っ直ぐに心を開き、そして互いに祈り合っていこうではありませんか。