2024年6月16日 飯能キリスト聖園教会 主日礼拝説教要約(若井和生師)
【1】 飯能キリスト聖園教会信仰告白について
私が飯能キリスト聖園教会の牧師となって今年で9年目となりました。神に祝福された素晴らしい教会に導かれたことに感謝しつつ、聖園教会にて自分に委ねられたつとめは何だろう、と祈りつつ考えてきました。そして、それは開拓者だった小林鏡子・軍地光子両牧師の祈りと信仰によって築かれたこの教会を、さらに発展させることであるとの思いが与えられました。
そのために①歴史の編纂と、②信仰告白の作成が必要ではないかと示されました。過去から現在に至るまでの主のみわざを書き留めておくこと、そして与えられている信仰を互いに確認し、その信仰が共に告白されていることが未来に向けて教会を建て上げていくための大切な土台となると思わされたからです。
数年間の準備の時の後、今年の信徒総会時に教会員の承認を得て、「飯能キリスト聖園教会信仰告白」を無事に作成することができました。今日から礼拝の説教を通して、与えられた信仰告白の内容を順番に確認していきたいと思います。
今日は第一項、聖書についての信仰告白です。
旧新約66巻からなる聖書は、すべて神によって霊感された誤りのない神のことばである。人間の救いについて神のみこころを完全に啓示し、すべてのキリスト者の信仰と生活の唯一絶対の規範である。
【2】 神の霊感によることば
私たちは、聖書が神によって霊感された誤りのない神のことばであることを信じる教会です。この信仰告白の根拠となっているのが第二テモテ3章16節のみことばです。
聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。
聖書はすべて神の霊感によって記されたと、聖書では教えられています。これは聖書が「神の息吹によって記された」という意味です。神の霊が人に乗り移って、その人が恍惚状態となって記した、という意味ではありません。神に選ばれた多くの人々が、それぞれの人格も個性も用いられながら、聖霊の導きの中で記したのが聖書なのです。
聖書は神の息吹によって記された神のことばです。つまり聖書を読む時に、私たちに聖霊が働くということです。聖霊が私たちに真理を悟らせてくださいます。聖霊によって私たちは神のみこころを知らされ、聖霊に満たされて歩むことができるのです。私たちがみことばに向き合う時は、みことばを通して働かれる聖霊のみわざに期待しながら、みことばを学んでいきましょう。
【3】 救いと成長のために必要
なぜ私たちには聖書が必要なのでしょうか。それは第一に神のことばである聖書によって私たちは救われるからです。「聖書はあなたに知恵を与えて、キリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができます(15)。」 聖書を通して私たちは真の神を知らされ、その神に対する恐れを与えられます。そしてイエス・キリストに対する信仰によって私たちは救いに導かれます。それはすべて、みことばによってなされた神のみわざなのです。
第二に、私たち信仰者の成長のために聖書は必要です。聖書によって私たちはすべての良い働きにふさわしく、十分に整えられた者となることができます(17)。聖書は具体的に私たちをどのように整え、成長に導くのでしょうか。私たちを教え、戒め、矯正し、義の訓練を与えることによって私たちを成長に導きます。主のみこころを明らかにし、私たちの罪を示し、私たちを悔い改めと神との正しい関係に導くことによって、私たちはすべての良い働きにふさわしく、十分に整えられていくのです。
【4】 むすび
イエス様の下にやって来た百人隊長の信仰を見て、イエス様は「わたしはイスラエルのうちに、これほどの信仰を見たことがありません」とおっしゃられました(マタイ8の10)。彼の信仰はイエス様さえ驚かせる信仰でした。みことばが神の権威に基づいて語られた神のことばであることを、彼が信じていたからです。
今日の私たちは、このような信仰をどれだけもっているでしょうか。近代以降の時代、教会の中でさえ聖書の権威からの自由が求められてきました。聖書そのものが言っていることよりも、みことばを受けとめる私たちの解釈の方が大事とされてしまいました。私たちがこの世に対して関心を向けすぎることで、神のことばに対する関心を失ってしまっていることもあります。
このような聖書に対する信仰を私たちはどのようにして自らの内に取り戻し、育むことができるのでしょうか。まずは神が私たちに語りかけておられる事実を知ることがスタートです。そしてその神の主権を認め、御声に耳を傾け、みこころを教えていただくこと。その時に、神の息吹によって記されたみことばが私たちの内側に及びます。聖霊の導きの中で私たちは神を深く知り、神との交わりの中で生かされ、この神に喜びをもって従う者へと変えられていくのです。