2024年12月29日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)
【1】 復興の歌
2024年の締めくくりとして詩篇126篇のみことばを味わいましょう。
「主がシオンを復興してくださったとき…(1)」。この詩篇が復興の歌であることがわかります。私たちは「復興」ということばを2011年の東日本大震災以後、頻繁に聞くようになりました。自然災害によって被害を受けた被災地だけのことではないでしょう。今、文化的にも精神的にも霊的にも、いろんな意味での荒廃が世界中で拡がっているのではないでしょうか。私たちも今、復興と回復とを渇望しているのだと思わされます。
【2】 喜び
詩篇126篇の前半部分は喜びに溢れています。かつて繁栄を極めたイスラエルはその後没落して、北イスラエルはアッシリヤに、南ユダはバビロンにそれぞれ滅ぼされてしまいました。民の神に対する不信仰と不従順のゆえです。それは大変な悲劇であり、大きな悲しみでした。
ところがペルシャ帝国の大王クロスがイスラエルの民に、イスラエルの帰還とエルサレムの再建を許したのです。それはイスラエルにとっては信じられないことでした。帰還と再建の道が開かれたことも大きな喜びでしたが、それ以上に大きな喜びだったのは、神がイスラエルの民を忘れていなかったという事実です。彼らの頑なさと罪深さのゆえに滅ぼされても仕方なかった民を、神はあわれんでくださいました。そしてシオンを再建するというチャンスを与えてくださったのです。
復興はまだ始まっていないのに、ただ復興が許されただけなのに、詩篇の著者は「主がシオンを復興してくださった」と告白しました。神のなさることなので、復興は確実です。彼らにとってそれは夢を見ているような幸せであり(1)、口が笑いで満たされ、舌が喜びの叫びでいっぱいになってしまうくらいの大きな喜びでした(2)。そんな彼らの姿は、周辺の諸国の人々に神の素晴らしさを証しする力となりました(2)。主が彼らのために大いなることをなさったからです(3)。
状況の厳しさに関係なく与えられる喜びがあります。それは神に覚えられている喜び、そして神のご計画の中で生かされている喜びです。神の御手の中で生かされている手ごたえを私たちが得る時に、私たちもこの大きな喜びで満たされるのです。
【3】 涙
詩篇126篇の後半の3節では悲しみと涙がテーマになっていることに、私たちは驚かされます。「主よ、ネゲブの流れのように、私たちを元どおりにしてください(4)。」 先ほど、シオンの復興を喜んでいた彼が、シオンを元どおりにしてくださいと切望しています。復興は確実ですが、現実は厳しいのです。かつて繁栄を極めた栄光の都エルサレムは今、廃墟と化しました。そのエルサレムの荒れ果てた姿に直面し彼は気落ちしているのです。
しかし彼はそこで祈りへと導かれました。「ネゲブ」とはイスラエル南部の荒野が広がる地域を表しています。乾いた荒野に雨季になると水が流れ川ができるように、荒れ果てた自分たちにも回復を与えてください、と彼は祈りました。目の前の厳しい現状に圧倒されない信仰者の姿がここに示されています。どんなに状況は厳しくても彼は祈ることができました。
そしてこのような告白に導かれました。「涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取る(5)。」 今、涙を流しながらもそこで種を蒔くならば、いずれ喜びながら刈り取ることができる。そう思えるのはどうしてでしょう。すべてのことに神のご計画があり、神の御手の中でみわざがなされていることを彼が知っているからです。その過程で流される涙は決して無駄な涙ではありませんでした。信仰者には希望が与えられていることがわかります。
しかもその告白は次のような確信へと導かれていきました。「種入れを抱え、泣きながら出て行く者は、束を抱え、喜び叫びながら帰って来る。(6)」 私たちには涙の時が必要です。結果がすぐに出ない時が大事です。そこで神への信頼が深められるという主の導きが必ずあります。そして今の涙は後の喜びへと必ずつながっていくのです。
【4】 むすび
今日の箇所より二つのことを覚えたいと思います。どんな厳しい状況の中にあっても私たちに与えられている大きな喜びがあります。それは神に覚えられ、神の御手の中で生かされている喜びです。同時に私たちには涙の時も必要です。忍耐が強いられる時が必ずあります。
でもそこで求められていること、それは私たちが種を蒔き続けることです。そしてあきらめないことです。私たちはすぐに目に見える結果を求めます。そのために安易な方法にすぐに流されます。涙がない分、喜びもそれ程大きくありません。
しかし私たちは涙とともに種を蒔き続けたいと思います。神がそのように私たちを導いておられるなら、私たちは喜んで涙を流すものでありたいと思います。涙を流した分だけ喜びも大きいし、悩んだ分だけ感謝も大きいからです。泣きながら出て行く者は、喜び叫びながら帰ってきます。喜びが叫びになるくらい大きな喜びが私たちを待っているのです。