王の王、主の主             ダニエル書4章29~37節

2024年11月24日 飯能キリスト聖園教会 主日礼拝説教要約(若井和生師)

【1】 悔い改めの拒否
 前回の箇所はダニエルのネブカドネツァル王に対する勧告で終わりました。ダニエルは王の見た夢の説き明かしをして、高ぶっている王に神のさばきが迫っていることを警告しました。さらに悔い改めて罪を除き、貧しい者をあわれんで咎を取り除くよう王に勧告しました。その結果、王は悔い改めたのでしょうか。
 そうではなかったことがわかります。それから12ヶ月が経ったある日、王は宮殿の屋上を歩きながら言いました。「この大バビロンは、王の家とするために、また、私の威光を輝かすために、私が私の権力によって建てたものではないか(30)」。バビロンを「大バビロン」と呼び、それは「私の威光を輝かすために、私の権力によって、私が建てた」と豪語しました。何と言う高ぶりでしょうか。ダニエルの勧告から12ヶ月もの時間が与えられていたのに、彼は全く悔い改めることがなかったのです。
 すると、このことばがまだ王の口にあるうちに神からの声が聞こえ、そして王の上にさばきがくだされました。警告通りに王は人間の中から追い出され、牛のように草を食べ、そのからだは天の露にぬれて、彼の髪の毛は鷲のように、爪は鳥のように伸びてしまいました。王は突然、精神に異常を来し、獣のようになってしまったことが考えられます。
 ネブカドネツァル王の姿から私たちは教えられます。人間とはいかに高ぶりやすく、一旦高ぶってしまったらそれを変えることは何と難しいことでしょうか。しかし神は高ぶる者を必ず退けられるのです。

【2】 目を上げて天を見る
 神のさばきを受けて苦しみの時を経験したネブカドネツァルでしたが、その期間は永遠ではなく終わりの時がやって来たことがわかります。そしてその後、彼に転機がやって来ました。何がきっかけだったでしょうか。「私ネブカドネツァルは目を上げて天を見た(34)」。彼は苦しみの後、目を上げて天を見ました。神を覚えた、ということです。すると三つの変化を経験しました。
 第一に理性が戻ってきました。それまで獣のようになって人間の世界から追い出され、牛のように草を食べ、そのからだは天の露にぬれていた彼が正気に戻りました。それは彼が獣から人間に戻った、ということを表しています。さらにそれは、王が高ぶりから解放されて神を見上げる本来の人間の姿を回復した、ということを意味しています。
 第二に王は神を賛美しました。「その主権は永遠の主権。その国は代々限りなく続く」と王は力強く賛美しました。王は4章3節でも神を賛美しましたが、この時の賛美は、あの時の賛美よりも、さらに心からの賛美でした。彼の上に本当の王がいること、その方の前ではこの世の権力者もはかない人間に過ぎないことを王が体験で悟ったからです。そのようにしてネブカドネツァルは王の王、主の主である神を心から賛美する者に変えられました。
 第三に彼に祝福が戻ってきました。彼は彼の顧問や貴族たちに求められて王位に戻りました。王がいなくなってみて、王のいることのありがたみが初めて部下たちにも分かったのではないでしょうか。王は人々から請われて、人々から歓迎されて王位に戻ったのです。そして王の威光と輝きが戻ってきました。それまで以上の絶大な権威が王に与えられ、帝国はさらに祝福されたのです。
 私たちに求められていることは何でしょうか。それは目を天に向けること、神を仰ぐことです。その時に私たちにも理性が戻ってきます。神を賛美する者に変えられます。そして神の祝福が注がれます。すべては私たちが高ぶりを捨てて、神を仰ぎ、神との関係に与えられる祝福なのです。

【3】 信仰者がそばにいる祝福
 間ネブカドネツァル王にはいろんなことがありましたが、最終的には神を賛美する者となりました。王は本当に祝福されていたのではなかったでしょうか。なぜこんなに祝福されているのでしょうか。それは、ダニエルとダニエルの三人の仲間たちが王のすぐそばにいたからです。このような神を恐れる信仰者を部下にもっていたために、王の治世は祝されたのです。
 王はダニエルたちを通してよき霊的感化を与えられました。権力の絶頂にあって高ぶりながらも、神を意識する者に変えられました。そして神のさばきにあって痛い目に合い、危機的な状況に陥った時に天を仰ぎました。その時に天を仰ぎ、神に心を開けたることができたのは、ダニエルたちとの出会いがあったからです。ダニエルたちを通して真の神がいることを教えられていたからです。

【4】 むすび
 私たちは私たちの家族や友人たちの救いのために日々祈っています。すぐに結果が出るわけではありません。普段の歩みの中で、神に向かって心を開いてくれることは、あまりないかもしれません。しかし、神を信じる私たちを通して神の祝福は、私たちが出会う人々にも必ず注がれます。そして何か大きな試練や困難に直面した時に、彼らが天を見上げる時がきっと来るでしょう。理性が戻って来て神を賛美し、神の祝福をいただく時がきっとやって来るでしょう。だから私たちはあきらめてはいけません。家族のために、主が導きによって出会わせてくださる方々のために祈り続けましょう。愛し続けましょう。