2024年11月17日 飯能キリスト聖園教会 主日礼拝説教要約(若井和生師)
バビロンの王のネブカドネツァルがダニエルに夢の話をしたのは、聖なる神の霊がダニエルにあったからでした。それゆえに王は、ダニエルであれば夢の意味を王に告げることができる、と思ったのです。王にとってダニエルは頼りになる部下でした。ダニエルに力があったからではありません。聖なる神の霊がダニエルに宿っていたからです。
【1】 ダニエルの動揺
夢の話を聞いてダニエルはどう反応したのでしょうか。彼はしばらくの間驚きすくみ、いろいろ思い巡らして動揺してしまいました(19)。それを見てネブカドネツァルは「この夢の意味のことで動揺することはない」とダニエルに言いました。王に気づかれてしまう程、大きな動揺だったことがわかります。
ダニエルはどうして動揺してしまったのでしょうか。それは、その夢の意味を理解したから、そしてそれが神の王に対するさばきを告げる夢だったからです。
ダニエルは躊躇しながらも、その夢の意味を王に伝えました。王が人間の中から追い出され、野の獣とともに住み、牛のように草を食べて、天に露にぬれること、そして王の上を七つの時が過ぎ行き、いと高き方が人間の国を支配しておられることを知るようになること、そのような夢の意味をダニエルは王に伝えました(24~25)。
ネブカドネツァルは権力の絶頂にあって、やはり驕り高ぶっていたことがわかります。その高ぶりのゆえに神にさばかれて、王の上におられる本当の王、いと高き神を心より知る必要があったのです。
この「いと高き方の決定」を王に伝えることは、ダニエルにとって大変大きな負担でした。しかし、それはどうしても伝えられなければならないことでした。なぜならば、それは「王に届いた、いと高き方の決定」だったからです(24)。
最近、教会において神のさばきがあまり語られなくなったと言われています。その理由はおそらく、あまり人に歓迎されない語りにくいメッセージだからでしょう。今日神の愛と真実はよく語られても、罪人に対する神のさばきはあまり語られません。しかし「いと高き神の決定」は必ず語られなければなりません。さばき主なる神が十分に教えられなければ、人はどんどん高ぶってしまうからです。
【2】 残された根株
この夢の内容で一つ気づかされることがあります。それは「木の根株は残せと命じられている」ことです(26)。夢の中でネブカドネツァルを表す高い木は切り倒されてしまいましたが、根絶やしにされたのではありませんでした。根株が残されました。
どうして根株が残されたのでしょうか。それは「天が支配するということをあなたが知るようになれば、あなたの国はあなたのために堅く立つ」からです(26)。倒され、人間の中から追い出され、牛のようになってしまうという厳しい経験の中で、もし王が真の神を仰ぎ、この真の神が世界のすべてを支配しているという事実を知るようになれば、王の国は堅く立つと約束されていることがわかります。神はネブカドネツァルに再生のチャンスを与えておられることに私たちは気づかされます。試練を通して真の神を知るという神の導きが、王のために用意されていたことがわかるのです。
私たちも時々試練を通して厳しい困難に直面することによって、真の神を知る者とされていくことがあります。試練に遭わないと神を本当に知ることができない鈍さを、私たちは抱えているのです。そんな私たちが試練を通して目が開かれ、本当の神と出会うことができるとするならば、私たちにとって試練もまた恵みなのではないでしょうか。
【3】 悔い改めへの招き
ダニエルが王に伝えたメッセージは、神のさばきに関するものだけではありませんでした。ダニエルは最後にこのように王に伝えました。「私の勧告を快く受け入れて、正しい行いによってあなたの罪を除き、また貧しい者をあわれんであなたの咎を除いてください。そうすれば、あなたの繁栄は長く続くでしょう(27)」。
ここでダニエルが語っている「正しい行い」とは、悔い改めを表しています。神が王に願っておられたこと、それは王が悔い改めて神に立ち返ること、さらに神のみこころに添って貧しい者をあわれむこと、それによって自分の罪と咎を神によって取り除いてもらうこと。それが祝福につながる道だったのです。罪を放置する時に神のさばきが来ます。しかし、罪を解決する時に神の祝福が来ます。そのことを王は知る必要があったのです。
神が私たちに一番願っていることは何でしょうか。それは私たちの内側の罪がちゃんと取り除かれていることです。罪の問題に解決を得ていることです。神のさばきと、悔い改めの必要と、罪の解決を曖昧にしたままで敬虔さを装うことではありません。
神は高ぶる者を間違いなくさばかれます。しかし、へりくだる者には恵みをもって応えられます。さばき主なる神の前に出て罪人である自らを知り、悔い改めて、神の赦しを得ようではありませんか。