2024年11月10日 飯能キリスト聖園教会 主日礼拝説教要約(若井和生師)
【1】 神を賛美するネブカドネツァル
今日の箇所は主語がネブカドネツァルになっており、すべて王の語りというかたちで記されています。ネブカドネツァルは全地に住むすべての民族、国民、言語の者たちへ呼びかけました。「あなたがたに平安が豊かにあるように。」 バビロンの王である彼が、全地に住むすべての民族に平安があるように祝福を祈っていることに、私たちは驚かされます。
そして「いと高き神が私に行われたしるしと奇跡を知らせることは、私の喜びとするところである」と語り、さらにその神を賛美しました。何と力強い賛美でしょうか。当時地上最強の帝国の王であったネブカドネツァルが、さらにその上に君臨しておられる王である神をほめたたえているのです。
かつて王は諸民族、諸国民、諸言語の者たちに自分の作った金の像を拝むように命じた時がありました(3章)。ところが今、王は地上のすべての民族に向かって真の神への賛美を呼びかけているのです。何という大きな変化でしょうか。 自分の力を過信し高ぶっていたあの王が、なぜ、このような謙遜な王にされたのでしょうか。それはもちろんダニエルやダニエルの三人の仲間たちを通して表された真の神と、彼が出会ったからです。その真実な神との出会いが異教徒の王を、真の神を賛美する者へと変えたのです。
私たちの信じる神は、すべての民族、国民、言語の者たちの上におられる神です。私たちもネブカドネツァル王の賛美に併せて、真の神を心から賛美したいと思います。
【2】 神の霊の宿る人
そのネブカドネツァル王が、その後、再び夢を見ました。それはこんな夢です。
王が眺めていると、地の中央に木がありました。それは非常に高い木で、成長して強くなりその高さは天に届いて、地の果てのどこからも見えるほどでした。その葉は美しく、実も豊かで、その木陰で野の獣が憩い、その枝には空の鳥が住み、すべての肉なるものはそれによって養われました。
ところが、一人の聖なる者が天から降りて来て、次のように命じました。「その木を切り倒し、枝を切り払い、獣や鳥を追い払え。ただし、その根株は鉄の青銅の鎖をかけて、野の若草の中に残させ、天の露にぬれさせて、地の青草を獣と分け合うようにせよ。」 さらに「その心を人間の心から獣の心に変えて、七つの時を過ぎ行かせる」と、不思議なことが語られました。
これは何を示す夢だったのでしょうか。いと高き方が人間の国を支配し、これをみこころにかなう者に与え、また人間の中の最も低い者をその上に立てることを、いのちある者たちに知らせるためでした。
とても不思議で不気味な夢です。この夢が王を恐れさせました。さらに王は様々な幻想と頭に浮かぶ幻によってもおびやかされました。王はこの夢のことをバビロン中の知者たちに話しましたが、その夢の意味を告げることができる人は一人もいませんでした。そこで最後にダニエルが呼び出されました。ダニエルに王はその夢の内容を伝えるのですが、そのダニエルについて王は「彼には聖なる神の霊があった」と語っています。
そして最後にこのように付け加えました。「私の国の知者たちはだれも、その意味を私に告げることができない。しかし、おまえにはできる。おまえには聖なる神の霊があるからだ。(18)」
王がダニエルをとても信頼していることがわかります。それは王がダニエルによって夢の解き明かしをしてもらったことがかつて一度あったからでしょう(2章)。さらにその後もダニエルが心から王に仕えてきたからでしょう。そのような長い関わりの中で、ダニエルに神の霊が宿っていることを王は認識するようになりました。この聖なる神の霊が宿っているダニエルであれば、きっと夢を解き明かすことができるに違いないと王は考えたのです。
ダニエルは神を恐れ、神に信頼するだけでなく、神の霊が宿る信仰者でした。その彼の信仰者としての姿が王に安心感を与えました。深い悩みの時に、王がダニエルを必要としたのは彼が御霊の人だったからです。
【3】 むすび
神は私たちを教会で祝福し、その祝福をもって私たちを世に遣わされます。そこには神を知らない人々が多くいる異教世界です。私たちは未信者の人々に仕えなければならない時も多くあります。その時に、私たちは心からその人々に仕えなければなりません。
大事なことは私たちが神に信頼し、その結果として聖霊に満たされていることです。聖霊に満たされるとは精神的に興奮状態になることではありません。聖霊なる神が私たちの内に住まわれ、それによってキリストのご性質が私たちを通して表されることです。その時に人は私たちを通して神を知ることになるでしょう。
特に人が大きな困難や悩みを抱えた時、私たちのことを頼りにしれくれることがあるかもしれません。自分ではどうすることもできない大きな問題を抱えた時に、人は必ず神を求めるからです。
みことばの導きの中で自己中心を捨てて神に信頼しましょう。そして聖霊なる神に私たちの中に住んでいただきましょう。そして聖なる神の霊が宿る人にしていただきましょう。人が私たちを通して神と出会うことができるように。