キリストにつくバプテスマ           ガラテヤ人への手紙3章26~29節

2024年10月6日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)

 本日の礼拝式の中で洗礼式がとり行われることを感謝します。二人の方がこの後、洗礼を受けられるのですが、洗礼とは何を表しているのでしょうか。パウロはガラテヤ人への手紙3章27節で洗礼(バプテスマ)について、「キリストにつくバプテスマ」と言い表しています。洗礼とは洗礼を受けたその人がキリストにつくこと、つまりキリストとつながり、キリストと一つになったことを表しています。
 キリストにつくと、どんな祝福がその人に及ぶのでしょうか。

【1】 キリストを着る
 「キリストにつくバプテスマを受けたあなたがたはみな、キリストを着たのです(27)。」

 洗礼を受けた人にまず与えられる特権は、「キリストを着る」という恵みです。「キリストを着る」とはキリストの性質に身を覆われるという意味であり、つまり、キリストの性質が自分のものになる、ということです。
 バプテスマを受ける人はまず「古い人」を捨てます。怒り、憤り、悪意、ののしり、悪いことば、偽り…等に支配されていたそれまでの古い人を脱ぎ捨てます(コロサイ3:8~9)。その上で「新しい人」であるキリストを着ました。その新しい人は、それを造られた方、つまり神のかたちにしたがって新しくされ続け、真の知識に至るとコロサイ人への手紙3章10節で教えられています。
 洗礼を受けた人は罪人でなくなる、という意味ではありません。洗礼を受けた後も相変わらずの罪人であり、罪を犯します。しかし、もはやそれに支配されることはありません。なぜならキリストをその人がすでに着たからです。そしてその人は少しずつ神のかたちにしたがって新しくされ続けます。清められ、神の栄光を表す者へと成長が与えられていくのです。

【2】 キリストのからだである教会に属す
 洗礼を受けた人に与えられる二つ目の特権とは何でしょうか。その人は、キリストのからだである教会に加えられます。

「ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もありません。あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって一つだからです。(28)」

 バプテスマを受けてキリスト者になれば、国籍や社会的立場や性別がなくなるという意味ではありません。それらのことが二の次になるくらいキリストにつくということ、つまりキリスト者になるということは大きい特権なのです。
 そしてバプテスマを受けた人はみな、キリスト・イエスにあって一つとなります。キリストを中心とした交わりに加えられ、同じ神を父とあがめる家族の一員となります。キリストのからだと呼ばれる教会に加えられるということです。
 教会はキリストを共有する交わりです。聖餐式の時には同じパンと同じぶどう酒を味わうことによってイエス・キリストの恵みを互いに味わい、それゆえに一つとされた恵みに感謝します。教会には様々な人々がいますが、キリストを共有することによって私たちは一つなのです。

【3】 天の御国の相続人となる
 洗礼を受けた人にはどのような特権が与えられるのでしょうか。約束の相続人となります。

「あなたがたがキリストのものであれば、アブラハムの子孫であり、約束による相続人なのです。(29)」

 洗礼を受けてキリストのものとされた人は、新しいイスラエルの子孫となり、子孫であれば必ず父の所有物を相続する権利が授けられます。
 アブラハムはかつて「相続財産として受け取るべき地に出て行くように」との召しを受け、どこに行くのかも知らずに出て行きました(へブル11:8)。アブラハムは生きている間に相続地を与えられることはなかったのですが、遥か遠くにそれを見て喜び迎えた、と聖書には記されています。つまり「天の故郷」こそはアブラハムにとっての約束の相続地だったのです。
 この世で私たちに与えられる相続財産は古くなったり、さびれたり、無くなったりしてしまいます。しかも私たちはその財産を天にまで持っていくことができません。しかし、神は私たちのために約束の相続地を与えてくださいました。御国を相続する権利を、私たちに与えてくださったのです。

【4】 むすび
 私たちもかつて洗礼を受けました。そうであるならば、キリストを着た者として完成を目指そうではありませんか。また教会に加えられた者として主の恵みをともに分かち合いましょう。そして約束の相続人として御国を待ち望みたいと思います。御国はすでに私たちのもとに来て、私たちもその中に加えられました。この地上にあって天を仰ぎ、御国の完成を待ち望む者となりましょう。