2025年1月12日 飯能キリスト聖園教会 主日礼拝説教要約(若井和生師)
【1】 ベルシャツァル
ダニエル書5章において、バビロンの王はネブカドネツァルではなくてベルシャツァルです。ネブカドネツァルは帝国の繁栄を築きましたが、彼の死後、帝国の栄華は急速に色褪せていきました。そしてベルシャツァルはバビロンの最後の王です。自らバビロンの崩壊を招き寄せたのです。
ベルシャツァルはその日、千人の貴族たちのために大宴会を催しました(1)。そして彼は酒の勢いに任せて、ネブカドネツァルがエルサレムの宮から持ち出した金銀の器を持ってこさせ、貴族たちや彼の側室たち、侍女たちらと一緒に、それらの器で酒を飲み、金、銀、青銅、鉄、木、石の神々を賛美しました(2~4)。
かつてネブカドネツァルはエルサレムの宮から金や銀の器を略奪しましたが、バビロンに運んだ後はそれらを大切に保管しました。やがてこの地域を支配するペルシャの王キュロスは、イスラエルの民にエルサレムへの帰還を許し、その際には金銀の器を彼らとともに持ちかえらせました。二人とも異教徒の王でしたが、イスラエルの神に対する最低限の敬意は持ち合わせていたように思います。
ところがベルシャツァルは、それらの器で酒を飲み、異教の神々を賛美しました。それはイスラエルの神に対するひどい冒瀆だったのです。
実はこの時、ペルシャとメディアの連合軍がバビロンを攻撃中でした。敵の包囲の中での大宴会だったのです。宴会などしている場合ではありませんでした。危機感が全くなく、国を守るための責任感も全く感じられない愚かな王でした。この愚かな指導者の愚かな統治のゆえに、国は亡びたのです。
神に対する恐れを失う時、人はいかに堕落してしまうでしょうか。自らの欲望に支配され、冷静な判断力と自制心を失って、自分だけでなく多くの人々を混乱と苦しみの中に巻き込んでしまうのです。
【2】 現れた人間の手の指
ベルシャツァルらがエルサレムの宮から持ち出した金銀の器で酒盛りをしているちょうどその時、人間の手の指が現れ、王の宮殿の塗り壁の燭台の向こう側に何かを書き始めました。それを見ているうちに王の顔色が変わり、いろいろと思い巡らして動揺し、腰の関節はゆるみ、膝はがたがた震え始めました(6)。ベルシャツァルの全身を大きな恐怖が貫いたことがよく伝わってきます。
この時のベルシャツァルの様子がとても詳しく丁寧に書き留められています。王としての権力や地位や名誉は、この時に彼のことを守ってはくれなかったのでしょうか。この世でどんなに大きな権力を手にしたとしても、所詮人間は神の前ではただ震え上がってしまう小さな存在であることがここで示されています。
ベルシャツァルは大声で叫び、バビロンの知者たちを呼び寄せました。壁に書かれた文字の意味を彼が知りたかったからです。ところが、その文字を読むことも、王にその意味を告げることも彼らにはできませんでした(7~8)。ベルシャツァルが賛美していたはずの神々は、この時彼に何もしてくれません。結局王は神ではなく人に頼らざるを得ないのですが、人も何もできませんでした。それで王はさらにおびえて顔色はさらに悪くなり、貴族たちも途方に暮れてしまったのです。人間の力とは、何と頼りにならないものでしょうか。
【3】 ダニエル登場
このような緊急事態の中にあってダニエルが再登場することになります。ネブカドネツァルがダニエルによって助けられたことを覚えていた王母が、ダニエルを王に紹介しました。ダニエルは「聖なる神の霊の宿る人」として王母に覚えられていました。その王母の提案を受けてダニエルが王の前に連れて来られました。
この王のもう一つの愚かさは、ダニエルがネブカドネツァルをよく助け、国の繁栄のためにどれだけ大きな貢献をしたのか、全く知らなかったということです。彼は歴史から学ぶことが全くありませんでした。
それでも彼はダニエルに頼らざるを得なくなりました。ダニエルはしばらくの間、忘れられた存在になっていましたが、神の不思議な導きの中で再び表舞台に呼び出され、神に用いられることになったのです。
信仰者には静かで確かな存在感が与えられています。物事がうまくいっている時に、人々はあまり神を求めないかもしれません。しかし危機的な状況の中で自らの限界を思い知らされた時に、人は必ず何かにすがりたくなります。その時がもしかすると、私たちの用いられる時なのかもしれません。
【4】 むすび
私たちの家族や友人たちが、何か大きな問題に遭遇したり悩みを抱えたりした時、私たちは彼らから頼りにしてもらえる存在でしょうか。神とともにあることの静かで確かな存在感を私たちはもっているでしょうか。神のご計画と不思議な導きの中で、私たちが神に用いられる時がいつか必ずやってきます。その時のために今からよき備えをしていく者でありたいと思います。
ダニエルは日に三度祈る習慣を若い頃から続けていた人でした(6:10)。彼はいつも神との交わりを大切にし、神に対する信頼を日々深めていました。それゆえに彼は「聖なる神の霊の宿る人」と、人々から覚えられる人物だったのです。そのような備えがあってこそ、彼は必要とされた時に大きな働きを成し遂げました。私たちもみことばと祈りの中で、神との関係を日々深めていきましょう。