創世記46章

創世記46章    ヤコブ、エジプトへ下る

ヤコブは、息子たちがもたらせた朗報に元気づいた。彼の決断は素早い「私の子ヨセフがまだ生きているとは。私は死なないうちに彼に会いに行こう」こう言って旅路の備えをし「彼に属するすべてのものといっしょに出発し、ベエル・シェバに来たとき、父イサクの神にいけにえをささげた」

細かいことだが、なぜ「ベエル・シェバに来たとき、父イサクの神にいけにえをささげた」のだろうか。なぜ、出発前に、祭壇を築いていけにえをささげなかったのだろうか(卑近な話で恐縮だが、我々が遠くへドライブする時、家を出る前に祈るのではないか。給油所やサービス・エリアに着き、一息ついて思い出したように祈るだろうか)

“独断と偏見に満ちている”との謗りを恐れずに言えば、ヤコブの日常には、アブラハムやイサクの生涯に特徴的に見られた祭壇・礼拝の印象が薄いように思うのだが・・・。

なぜ、ベエル・シェバなのか。これは、アブラハム(21:31-33)やイサク(26:23-24)ゆかりの地である。ヤコブも、若い日々を過ごしたことのある(28:10)思い出が凝縮した地である。不用意なヤコブでも、ベエル・シェバの地にくれば、圧倒的な神の恩恵を想起するだろう。適当であるか否か、ご判断を委ねるが、私にはサウロ王のことが思い出される(Ⅰサムエル10:10-12)

「父イサクの神にいけにえをささげた」

父イサクの神と記されていることにも着目したい。26章ではイサクにとって「父アブラハムの神」(26:24)であった。ここでも未だ「ヤコブの神」とは言いがたい。同時にイサクの体験をヤコブが遅まきながら追体験する。そして、やがて神は「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」(出エジプト3:6、15、16)と呼ばれるに至る。すると、ヤコブは途上にあると言うことではないか。

Ⅰヤコブがエジプトへ

エジプトに下ることは、アブラハム以来タブー視されてきた趣がある。だが、老いたヤコブは、ヨセフに会いたい思いで心が急かれる。躊躇いが少しも無かった訳ではないだろう。

ベエル・シェバはアブラハム以来のゆかりの地。彼は祭壇を築いて感謝の礼拝をささげ、併せて、不本意なエジプト下りに神の許しを求めたことか(私は、事前に“主よ、お許しくださいと”祈ったことがある)ヤコブは、しばらくエジプトで世話になるつもりだったろうが、幾世代も留まることになるとは、思いも及ばなかったであろう。

人間を行動に駆り立てる動機は様々である。ディナは好奇心で、ヤコブは情で、バラクは貪欲で、ヘロデは虚栄心で・・・(私達の動機づけが、神の御心と確信して踏み出すものであることを願う)

かつてのヤコブなら、ヨセフとの再会、食糧事情等、これだけ条件がそろえば、少しも躊躇うことはなかったであろう。しかし、今は、霊と肉の願望のギャップを痛感し、その葛藤の中に身を置く。

神はヤコブに恵み深い

「わたしは神、あなたの父の神である。エジプトに下ることを恐れるな。わたしはそこで、あなたを大いなる国民にするから。わたし自身があなたといっしょにエジプトに下り、また、わたし自身が必ずあなたを再び導き上る。ヨセフの手はあなたの目を閉じてくれるであろう」(28:15)

神の約束が果たされるまでに歳月を要する。ヤコブはエジプトの地で客死するが、その遺体は、ヨセフの手で、王の葬儀のように埋葬された。ヨセフ自身は、王朝が替わり、埋葬のチャンスも与えられず、出エジプトに際して、そのミイラが運び出される(出エジプト13:19、ヨシュア24:32)

ひたすらに神を求めて決断する人がいる。神が堪忍袋の緒を切らせて自ら介入される時がある(私のたどたどしい信仰生活では、後者の場合が思い当たる)

「こうしてヤコブはそのすべての子孫といっしょにエジプトに来た」

パロが送った車に乗る一族の、なんと晴れがましいことか。近隣があるなら、飢饉の最中にこのような招待を受ける一族を羨んだことであろう。

人は“万事、塞翁が馬”という。歴史の現象だけを見れば、まことにその通りである。すると、なんと当てにならないことか。されど、私達は神の計画の中で生かされている(ローマ8:28)

「ヤコブから生まれた子でエジプトへ行った者は、ヤコブの息子たちの妻は別として、みなで六十六人であった」

66人という数を見出すのは容易ではない(ディナを加えると65になる。もちろんセラフも数える)誰が数えられ、誰が除外されているのか判明しない。では、なぜ、66なのか。おそらく、総勢を吉数70とするためであろう(66に、ヤコブとヨセフ、二人の息子を加えると70となる)

いずれにしても、数は、概数である。女性たちは、数えられたり数えられなかったりする(7節)その概数が語ることに耳を傾ければよいのではないか。

モーセは、出エジプトを果たして後、イスラエルの民衆に「あなたの先祖たちは(僅か)七十人でエジプトへ下ったが、今や、あなたの神、主は、あなたを空の星のように多くされた」と語る。



「エジプトに行ったヤコブの家族はみなで七十人であった」(出エジプト1:5)

ステパノは、イスラエルの民衆を前にして歴史を回顧し「ヨセフは人をやって、父ヤコブと75人の全家族を呼び寄せました」(使徒の働き7:14)と語る。

この75人という数はどこから生じたのであろうか。これは、ギリシャ語訳聖書からの引用である。七十人訳では、創世記46:27も、出エジプト1:5も、ともに75人とされている。ヘレニストのステパノが、ギリシャ語訳を引用するのは自然である。

因みに、ヘブル語聖書は、33+16+14+7=70と数える。ギリシャ語聖書は33+16+18+7=74。数を深追いしても、実りが少ないのではなかろうか。ヤコブの家族では、二人の娘(デイナ、セラフ)だけが名を止めているが、外に女性がいなかったわけではあるまい。

息子たちの妻たちが除外されていることに目くじら立てることもあるまい。5、7、15節には「妻たち、娘たち、孫娘たち」と、女性たちが複数で記されている。

Ⅱ父と子

「ヨセフは車を整え、父イスラエルを迎えるためにゴシェンへ上った」

ヨセフは、父との再会の日が訪れるなど夢にも思わなかったであろう。諦めて、忘れて、心に平安を得る。しかし、父が来ることを知った今、彼は一刻たりとも心が休まることはなかったであろう。待ちきれないで「父イスラエルを迎えるためにゴシェンへ上った」

この後、イスラエルの子らとパロの会見において、ゴシェンの地は、イスラエルが望むままに、彼らに与えられた。これにはヨセフの深謀遠慮があったようだ。

「そして父に会うなり、父の首に抱きつき、その首にすがって泣き続けた」

近年の私たちは、中国残留孤児の肉親との再会、拉致被害者家族の再会など、歴史的再会の証人である。過酷な運命に弄ばれた人々を知り、幾度となく涙を流してきた。

ヤコブは「もう今、私は死んでもよい。この目であなたが生きているのを見たからには」と言う。ヨセフを失ってから20余年。ヤコブの心に生じた、他の物では満たすことの出来ない空白(37:35)が、今こそ埋められた。著者は、ヤコブの感動を繰り返し綴る(45:28、46:30、48:11)「今、私は死んでも良い」とは、エルサレムの老聖徒シメオンの満足に通じる(ルカ2:29-30)

ヨセフの深慮遠謀

ヨセフは兄弟たちに「あなたのしもべどもは若い時から今まで、私たちも、また私たちの先祖も家畜を飼う者でございます」と言わせる。その意図は「あなたがたはゴシェンの地に住むことができるでしょう。羊を飼う者はすべて、エジプト人に忌みきらわれているからです」に見られる。

ゴシェンの地は、ナイル川の下流東側に広がる肥沃な地である(47:6)また、エジプトに職業的な蔑視があり、徒な競合を避けることが出来たであろう。また、内陸深くに定住するよりも、カナンの地に近い方が、出国に便利ではないか。領域的にも、一族が分散しないで住める広がりがある。

ヨセフの知恵は、羊飼いを口実に用いた。自らを少し卑しくして、相手の懐に入り込み、まんまと願望を遂げる。ゴシェンの地は実利のある地であり、一朝有事のおりには、戦略的な立地条件を満たしてもいる。まことに慧眼である。