終わりの日に起きること          ヤコブの手紙5章1~6節

2024年4月21日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)

【1】 金持ちたちに対する警告
 「金持ちたちよ、よく聞きなさい(1)。」 前回の箇所でヤコブは、商売をしてもうけようとしている信仰者たちに向かって「よく聞きなさい」と語りかけていました(4の13)。今日の箇所においては金持ちたちに対して「よく聞きなさい」と語りかけています。
 金持ちたちはヤコブの手紙の直接的な読者ではありません。その金持ちたちに対する警告を、ヤコブはなぜ信仰者たちに語り聞かせたのでしょうか。第一にそれは信仰者たちを富の誘惑から守るためです。

【2】 富の誘惑に対する注意
 ヤコブは金持ちたちに対して言いました。「迫り来る自分たちの不幸を思って、泣き叫びなさい。」 どんな不幸が彼らに迫っていたのでしょうか。
 まず彼らの富は腐り、彼らの衣は虫に食われ、彼らの金銀はさびてしまいます。彼らの大切にしていた富と宝が台無しになってしまう危険が迫っていたことがわかります。この世の富は一時的であり、どんな素晴らしい富もやがて色あせてしまうことがわかります。
 しかもそれだけではありません。さびついてしまった金銀のそのさびが彼らを責める証言となり、彼らの肉を火のように食い尽くす、とヤコブは警告しました。この世に宝を蓄えてきたその生き方がやがて問われ、さばかれる時が来る、という意味です。
 そしてヤコブは言いました。「あなたがたは、終わりの日に財を蓄えたのです(3)。」 終わりの日とは、どのような日でしょうか。審判者なる神がさばきを下す日です。やがて「終わりの日」と呼ばれる日がやって来ます。それは、私たちが審判者なる神の前に立たされる時です。
 金持ちたちは財を蓄えつつ実は神の怒りを蓄えていました。私たちはどこに宝を蓄えているでしょうか。イエス様は「自分のために、天に宝を蓄えなさい。そこでは虫やさびで傷物になることはなく、盗人が壁に穴を開けて盗むこともありません(マタイ6の20)」と教えられました。父なる神のみこころを行って、この地上にではなく、天に宝を蓄える者でありたいと思います。

【3】 搾取の中にある忍耐
 このようにヤコブは商売でもうけようとしている信仰者たちに、富のはなかさと富の危険を伝えました。もう一つの励ましも彼らには必要でした。搾取の中にある忍耐についてヤコブは次に彼らに教えています。
 各地に離散してしまった信仰者たちの多くは経済的基盤に弱く、金持ちたちから搾取されてしまうことも多かったのです。そこでヤコブは金持ちたちに迫り来るもう一つの不幸を教えました。

「見なさい。あなたがたの畑の刈り入れをした労働者への未払い賃金が、叫び声をあげています。刈り入れをした人たちの叫び声は、万軍の主の耳に届いています(4)。」

 金持ちたちは労働者に対して賃金を支払わないという不正と搾取によって、富を築いていました。そして地上でぜいたくに暮らし、快楽にふけっていたのです。しかし、労働者への未払い賃金は叫び声をあげ、その声は万軍の主の耳に届いています。つまり金持ちたちに搾取される労働者たちの叫び声は、必ず神に届いているのです。
 しかも彼らは屠られる日のために自分の心を太らせていました。先程語られた「終わりの日」とは「屠られる日」であり、「殺戮の日」です。聖なる神の恐ろしいさばきが、この日に下されることがわかります。その日に向かって何の備えもせず、ただ欲望と快楽のままにぜいたくに暮らしてきたとは、何とあわれなことでしょうか。
 ヤコブは、このような金持ちたちに対する警告のことばを信仰者たちに敢えて聞かせることによって、搾取される彼らの苦しみを父なる神はご存知であること、神の正しいさばきは必ずくることを教え、その中でよく忍耐するように励ましているのです。

【4】 むすび~終わりの日を覚えつつ生きる
 私たちにとって明日のことはわかりません。明日何が起こるのか知っている人は誰もいません。しかし、わかることが一つあります。それは「終わりの日」と呼ばれる日があるということ、その日が近づいている事実です。その日に向けて私たちにはどんな備えが必要なのでしょうか。
 ヤコブは実はここに至るまで、終わりの日を目標として生きる生き方を彼らに提示してきました。試練に耐え抜いた人には「いのちの冠」が約束されていること(1の12)、神はこの世の貧しい人たちを選んで約束された御国を受け継ぐ者としてくださったことを教えてきました(2の5)。
 この地上は一時的ですが、私たちはいずれ天に凱旋します。「終わりの日」を自覚しつつ、この世の富に惑わされることなく、御国の民としてみこころに添って歩んでいきましょう。