今日、主の前に立っている            申命記29章1~15節

2024年4月28日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)

【1】 モアブの地での契約
 2024年度の教会の目標となるみことばを、半年くらい前から祈り求めてきました。その結果与えられたみことばが、申命記29章10節のことばです。

「今日あなたがたはみな、あなたがたの神、主の前に立っている」

 昨年の教会創立60周年を経て神は教会をどのように導いてくださるのかについて考える中で、そして祈り会で1章ずつ申命記を学ぶ中で、このみことばが与えられました。
 イスラエルの民がみな主の前に集まって立っています。彼らは何をしているのでしょうか。神と契約を結んでいます。それはモアブの地での契約であり、かつて神がホレブの地で結ばれた契約とは別でした(1)。
あの時神はエジプトを出たばかりのイスラエルの民と、シナイ山のふもとで契約を結んでくださいました。しかし、今回は40年の荒野の旅を終えて約束の地に入る前の契約です。40年の時を経て世代も代わりました。しかし主は新しい時代を迎えるイスラエルの民ともう一度、契約を結んでくださったのです。
 モーセはイスラエルをみな呼び寄せました(2)。神の前にイスラエルの民が全員集合だったことがわかります。その顔ぶれは部族のかしらたち、長老たち、つかさたちから始まって、イスラエルのすべての人々。子どもたちも妻たちも、宿営の内にいる寄留者、薪を割る者から水を組む者に至るまで、あらゆる人々が集められたことがわかります(10~11)。全員が御前に集められ、全員が神の前に立つという厳粛な瞬間でした。

【2】 歴史を振り返る
 主の前に全員で立ち、彼らはまず何をしたでしょうか。歴史を振り返りました。主がエジプトでファラオとそのすべての家臣たちからイスラエルの民を救い出してくださったみわざ、その後の40年の荒野での旅路を主が導いてくださったこと、ヘシュボンの王シホンとバシャンの王オグに主が勝利を与えてくださったこと、そしてその占領地を相続地としてルベン族、ガド族、マナセ族とに分け与えたこと。それら一連の主の守りと導きとを彼らは振り返りました。
 イスラエルの民は主のなさったみわざを「ことごとく見」、そして「自分の目で見」ました。しかしその重大な意味を民は今日に至るまで十分に悟ることはできなかったようです(4)。そこでモーセはここに来て、もう一度過去に振り返り、ここに至るまでの主の守りと導きを全員で確認しました。イスラエルにとって、歴史の理解が神との契約に入る一つの根拠となっていることがわかります。
 私たちは昨年、聖園教会の60年の歴史を振り返りました。この60年間、主が私たちの教会を愛し、守り、ここまで導いてくださったことを共に覚え合いました。その歴史の理解が今日、主との新しい契約に入るための大切な根拠です。今まで私たちを愛し導いてくださった主が、今も、これからも私たちを愛し、導いてくださるからです。

【3】 契約の更新
 この時神はどのように民と契約を結んでくださったのでしょうか。先に主が約束されたように、またかつて主がアブラハム、イサク、ヤコブに誓われたように、今日イスラエルを立ててご自分の民とし、またご自分が彼らの神となられました。イスラエルが神の民とされ、神がイスラエルの主となられ、つまりイスラエルの民を主との親しい交わりの中に加えてくださったのです。イスラエルの民がこれからいよいよ約束の地に入るという大事な節目の時に、神はもう一度、与えられている恵みの関係を確認してくださったのです。
 
【4】 ここにいない者たちとの契約
 この恵みの契約を神は、その時主の前に立っている者たちとだけでなく、「ここにはいない者たち」とも結んでくださいました。「ここにはいない者たち」とは誰のことでしょうか。第一にそれは、これから生まれてくる子どもたち、孫たち、そしてイスラエルの子孫たちです。第二にそれは、イスラエル民族を超えた多くの異邦人たちです。主がイスラエルの民と結ばれた契約の中に加えられていく者たちが、これから次々と起こされていくことが、ここで約束されているのです。

【5】 むすび
 教会創立60周年の恵みを受けて今日、私たちも皆で主の前に立ちたいと思います。そして主との恵みの契約に加えていただきましょう。祈りと賛美とみことばによって、与えられた神との交わりを喜び、感謝したいと思います。
 私たちに求められているのは主の命令を守り、主の道を歩むことです。その時に主は私たちを豊かに祝福してくださいます。
 しかも、私たちを通してこの恵みの契約に加えられていく者たちが、これからも次々と起こされていきます。私たちの家族や子どもたちや孫たちの中からも、私たちが出会うまだ神を知らない多くの人たちの中からも、多くの方々がこの交わりの中に加えられていきます。その約束を信じ、私たちは信仰をもって神との関係を喜び、この神に心から従っていこうではありませんか。