耐え忍びなさい、心を強くしなさい        ヤコブの手紙5章7~9節

2024年5月5日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)

【1】 耐え忍びなさい
 今日の箇所は「ですから」ということばで始まり、前の箇所の内容の続きであることがわかります。前の箇所でヤコブは金持ちたちに迫り来る不幸について教えました。「終わりの日」と呼ばれる日が迫っていること、彼らが不正によって財を蓄えたゆえに、その日に彼らは裁かれてしまうこと、彼らにとってその日は「屠られる日」となることが警告されました。
 その上でヤコブは今日の箇所で「ですから、兄弟たち」と語りかけました。金持ちたちに対する警告を示した上で、このように語りました。「主が来られる時まで耐え忍びなさい(7)。」 忍耐が必要な状況に彼らは置かれていました。しかし、それも主が来られる時までです。金持ちたちにとって恐ろしい「屠られる日」だった「終わりの日」が、信仰者である彼らには「いのちの冠」が与えられる日であり、その苦労が報われる日だったのです。
 ヤコブは彼らを励ますために農夫の姿を示しました。「農夫は大地の貴重な実りを、初めの雨や後の雨が降るまで耐え忍んで待っています。」 農夫は忍耐することを知っています。貴重な実りの日を期待しつつ、雨が来るまで耐え忍んで待っているのです。
 この世にあっては私たちにも患難があります。しかし私たちも耐え忍びたいと思います。単なるやせ我慢ではなくて、希望をもって忍耐深く待ち続けたいと思います。

【2】 心を強くしなさい
 耐え忍ぶ人たちにとってはさらに励ましが必要でした。先に素晴らしい希望が示されてはいても、彼らは今まさに試練の中にあり、大きな誘惑に晒されていました。そこでヤコブは続けて語りました。「あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。主が来られる時が近づいているからです(8)。」 「耐え忍びなさい」という命令を繰り返しつつ、さらにそこに「心を強くしなさい」と励ましのことばをヤコブは付け加えました。
 「心を強くしなさい」と訳されていることばは、ルカの福音書9章51節では「顔を向ける」と訳されています。

「イエスは御顔をエルサレムに向け、毅然として進んで行かれた。」

 イエス様はそれまでガリラヤ地方での宣教に励んでこられましたが、ある時にご自分の御顔をエルサレムに向けて進んで行かれました。それは十字架に自らの心を定めたという意味です。
 ヤコブもここで信仰者たちに対して心を定めなさい、と命じているのです。そのために必要な励ましとは何だったでしょうか。それは「主が来られる時が近づいている」という事実です。主はすぐにやって来られます。今日、来られるかもしれません。いつ主が来られても大丈夫なように、私たちはいつでも主とお会いできる準備が必要なのです。

【3】 さばかれることがないように
 このように信仰者たちを繰り返し励ますヤコブですが、同時にヤコブは現実的なアドバイスと警告を与えていることがわかります。「兄弟たち。さばかれることがないように、互いに文句を言い合うのはやめなさい。見なさい。さばきを行う方が戸口のところに立っておられます(9)。」
 信仰者たちは互いに文句を言い合っていたことがわかります。今までの箇所を通しても彼らの間に戦いや争いがあったこと(4の1)、互いに悪口を言い合ったり、さばき合ったりしていたことがわかります(4の11)。自分の正しさを主張し、人をさばきやすい傾向を私たちは皆もっています。そのような人間がもともともっている悪い傾向が、厳しい状況の中で露骨に表わされたと考えられます。
 そこでヤコブは「互いに文句を言い合うのはやめなさい」と命じました。それはさばかれないためです。そして、さばきを行う方が戸口のところに立っておられます。扉を開けたその先に何とさばき主なる神が立っておられると言うのです。それゆえに注意せよ、と彼は警告を与えているのです。
 イエス様も「さばいてはいけません。自分がさばかれないためです(マタイ7の1)」と教えられました。救われている私たちは永遠のさばきに定められることはありません。しかし、それでも自分がさばく、そのさばきでさばかれ、自分が量るその秤で量り与えられます(マタイ7の2)。人をさばいた通りにさばかれてしまうのです。

【4】 むすび
 私たちもこの世にあって忍耐が強いられることが多くあります。歪んだ社会の価値観に苦しみ、人間の冷たさに悩まされることがあります。そこから来る誘惑もまた大きいと言えます。
 しかしその中にあって私も耐え忍びたいと思います。約束されている主の日の到来を待ち望みつつ、心を強くして耐え忍びたいと思います。さらにさばき主なる主がそばに立っていることを意識しつつ自分の心を見張り、誘惑に勝利していきましょう。互いに文句を言い合ったり、さばき合ったりすることがないように。