主よ、あなたがそばにおられます         詩篇119篇145~152節

2022年10月30日 飯能キリスト聖園教会    礼拝説教要約(若井和生師)

 明日10月31日は宗教改革記念日です。1517年10月31日、ドイツのマルチン・ルターがウィッテンベルク城教会の扉に「95箇条の提題」を掲げたことがきっかけで、宗教改革が始まりました。
 ルターにとっての最大のテーマは、人はいかにして義と認められ、神に受け入れられるのか、ということでした。私たちの罪の問題が解決し、神に受け入れられているということは、私たちにとっても最重要課題です。そのことを私たちは何よりも大事にしていかなければなりません。

【1】 窮地にあって救いを求める祈り
 今日の箇所で詩篇の著者は神を真剣に呼び求めています。「私は心を尽くして呼び求めます(145)」「私はあなたを呼び求めます。私をお救いください(146)」「私は・・・叫び求めます(147)」「私の声を聞いてください」と、彼は繰り返し神を呼び、救いを求めています。その求めもどんどん強くなっていくことがわかります。
 「私は夜明け前に起きて、叫び求めます(147)。」「私は夜明けの見張りよりも先に目覚め、あなたのみことばに思いを潜めます(148)。」 彼は誰よりも早く起きて、早朝からみことばを待ち望みました。真剣に祈り続けました。それなのに、答えはなかなか与えられません。
 「悪意を遂げようとする者が近づきました(150)」。彼に対して罠を設けて滅ぼそうとしている悪者たちが、接近しつつあることがわかります。それは彼にとっての現実的な脅威でした。そのような窮地に追い込まれる中、彼は神の救いを叫び続けています。
 悩み苦しみの時、窮地に追い込まれた時、私たちは何をするでしょうか。じっと耐えるでしょうか。運命をのろうでしょうか。あきらめるでしょうか。ぜひ私たちも声を上げましょう。神を呼び求めましょう。神に向かって叫びましょう。私たちはどんな苦しみの中にあっても、神に向かって声を上げることができるのです。

【2】 あなたがそばにおられる
 そのように神を求め続けた結果、彼はどのような結果に導かれたのでしょうか。「しかし、主よ、あなたがそばにおられます。あなたの仰せはことごとくまことです(151)」との告白に導かれました。150節の「近づく」と、151節の「そばにおられます」は原語では同じことばが使われていることがわかります。ただし150節では近づきつつある状況が、151節では近くにおられる状態が表されています。つまり敵が近づきつつある状況の中、主はさらに彼の近くにおられました。接近中の現実的な脅威の中にあって、彼は主の臨在をもっと身近に感じたのです。
 その体験のゆえに「あなたの仰せはことごとくまことです」との告白に導かれました。それまで彼はみことばを真剣に求めていました。夜明け前に起きてみことばを待ち望み、みことばに思いを潜めてきました。それなのに、主の御声をはっきり聴くことはできませんでした。しかし主がそばにおられることを知った時、それまで彼に語られてきたみことばはことごとくまことであったと、彼には理解できました。すでに語られていたみことばが、彼に生きて働き、彼はみことばの確かさをさらに確信する者となったのです。

【3】 主の約束の確かさ
 最後に彼は「私は昔から、あなたのさとしで知っています。あなたが永遠にこれを定めておられることを(152)」と告白しました。「主がそばにおられる」との約束はイスラエルに対し繰り返し約束されてきたことでした。アブラハムにも、モーセにも、ヨシュアにも、ダビデにも、エリヤにも与えられてきた約束でした。それは神がご自分の民のために、永遠に定められた約束でした。そしてその約束の成就のためにイエス・キリストがこの世に来られました。イエス・キリストの別の名前は「インマヌエル」、それは「主は私たちとともにおられる」という意味です。
 20世紀にナチス・ドイツと闘ったドイツのボンヘッファーは、ナチスによって捕らえられ処刑されてしまいました。その約半年前に牢獄の中から婚約者に対して彼は手紙を書き、その中で一つの詩を記しました。その詩が元になって「よき力に我守られて」という歌が誕生しました。

過ぎた日々の悩み重く なおのしかかる時も 
さわぎ立つ心しずめ み旨に従いゆく
よき力に守られつつ 来たるべき時を待とう
夜も朝もいつも神は われらとともにいます

 ボンヘッファーはそのまま処刑されてしまい、いのちが助かることはありませんでした。しかし、彼はよき力に囲まれて、主がともにおられる平安をいただいて、天に召されていきました。
 神がともにおられることを私たちがよりはっきりと確信できるのは、試練の時、悩みの時、そして死の時です。そこに主はともにおられるのです。私たちも主に向かって声を上げ、みことばの導きの中で日々、主とともに歩みましょう。