私を支えてください           詩篇119篇113~120節

2022年10月2日 飯能キリスト聖園教会     礼拝説教要約(若井和生師)

【1】 二心のある人たち
 「私は二心のある人たちを憎み、あなたのみおしえを愛します(113)。」 ここに記される「二心のある人」とは、どのような人でしょうか。それは神にも仕え、この世にも仕え、心が二つに分かれている人です。その人は「疑う人」「心が定まっていない人」「風に吹かれて揺れ動く、海の大波のような人」(ヤコブ1の6~8)です。
 神様はこのような二心のある人を憎まれます。神の愛を受けて育てられたイスラエルが、エジプトやアッシリヤやバビロンなどに心を向ける行為を、聖書では「姦淫する」「姦通する」と言った激しいことばで表されています(エゼキエル16章)。神を信じながら他国の神に心を奪われる神の民の姿は、神様にとっては愛する自分の妻が他の男の下に走って行ってしまう時のような、大きな悲しみであることがわかります。
 この詩篇の著者は「私は二心のある人たちを憎む」と告白しました。神様の思いを自分の思いとしていることがわかります。同時に彼は、これを自分への戒めとしました。自分も神を愛すると告白しながら、すぐに偽りの道に心が傾いてしまう危うさを意識していたからです。「二心のある人」とは、まさに自分のことでした。
 私たちは二心にならないために、そして神様に真っ直ぐ従うために何が必要なのでしょうか。

【2】 信仰を明確にする
 まずは信仰を明確にすることが必要です。特にみことばに対する信頼をはっきりさせることが大事です。「あなたのみおしえを愛します(113)」「あなたのみことばを待ち望みます(114)」「私は私の神の仰せを守る(115)」と、彼はみことばへの信頼を繰り返し明らかにしました。
 同時に「私は二心のある人たちを憎む(113)」「悪を行う者どもよ、私から遠ざかれ(115)」と語り、信仰の妨げになるものを退けていることがわかります。神を選び、この世を退けることによって自らの心を定めていることがわかります。
 かつて預言者エリヤは、神とバアルの両方に仕えているイスラエルの預言者に向かって「いつまで、どっちつかずによろめいているのか」と語りました(Ⅰ列王記18の21)。イエス様も「だれも二人の主人に仕えることはできません」と教えておられます(マタイ6の24)。私たちの仕えている主は一人、神ご自身だけです。この方に対する信仰と、みことばに対する信頼を明確にしましょう。

【3】 祈る
 次に祈りが必要です。私たちの問題は、私たちが誓った通りに生きることができない、という点にあります。神様に対する信頼を明らかにし、神様にのみ従っていきたいと願ってはみても、心をこの世に奪われ、みことばにではなく、この世の基準に従って歩んでしまいます。自分の力ではとても信仰を全うできないのです。
 そんな私たちに必要なのは祈りです。詩篇の著者は今までのように「あなたのみことばのとおりに私を生かしてください」と祈りました。そしてさらに、この箇所においては「支えてください。私を支えてください」と付け加えて祈っています(116、117)。彼が支えを必要としていたことがわかります。
 悪を行う者の存在を彼は意識していました。彼を滅ぼそうと狙い、彼に罠を設ける悪者たちの存在は彼にとって脅威でした。彼らは彼の信仰のゆえに、彼を辱めたことがわかります(116)。そんな彼には神の支えが必要だったのです。
 私たちにも神の支えが必要です。神の支えを求める祈りが必要です。そして神の支えのために共に祈ってくれる兄弟姉妹の存在が必要です。そのようにして私たちも支えられながら、信仰の道を歩んで行くのです。

【4】 神を恐れる
 第三番目に、私たちには神への恐れが必要です。自分のことを繰り返し訴えてきた詩篇の著者が、段落の後半に来て、神様のことを意識するように導かれていることがわかります。神様は、ご自身のおきてから迷い出る者を退けられ(118)、地の上の悪しき者を金かすのように取り除かれる方(119)です。
 そして彼は告白しました。「私の肉はあなたへの恐れで震えています。私はあなたのさばきを恐れています(120)。」 神様がさばき主であることを覚え、彼は恐れおののいています。それは彼の身体が震えてしまう程の恐ろしさでした。
 私たちも神様がさばき主であることを忘れてはいけません。神様は地上のすべての悪しき者を、必ず金かすのように取り除かれる方です。この方が聖書で示されているのは私たちを脅すためではありません。私たちが悪の道から離れ、罪から守られるため、そして神の前で真実に歩むためです。この主の前で生かされていることを意識することによって、私たちは神に向かって真っすぐに歩む者となるのです。

【5】 むすび
 私たちも二心になりやすい一人ひとりです。しかしみことばに対する信頼を明らかにし、祈り、神を恐れながら、私たちの唯一の神であり主である方に、心からお仕えしていきましょう。