イザヤ書7章

イザヤ07    国家存亡の危機とインマヌエル預言

Ⅰ時代背景(1ー2)



「ウジヤの子のヨタムの子、ユダの王アハズの時のこと、アラムの王レツィンと、イスラエルの王レマルヤの子ペカが、エルサレムに上って来てこれを攻めた」

合従連衡は中国の言葉だが、これは小国が生き延びるための知恵であって、イスラエルやユダも例外ではなかった(今日の国連でも、経済支援と票集めは現実的)ユダとイスラエルは分裂していたが兄弟部族である。強大な外敵に向かう時には協力するのが常であった。

しかし、この時代、両国の関係は冷えていた。アッスリヤのテグラテピレセル3世が強大になり、アラム(シリヤ)とエフライム(イスラエル)は、これに対抗する為にユダに連合する事を求めた。ユダは、この要請を拒絶した。その結果、イスラエルは、シリヤを巻き込んでユダに攻め込んできた。その詳細は、Ⅱ歴代28章に記録されている(12万人の戦死者、20万人の捕虜)

この時、ユダは滅亡を免れたが「エフライムにアラムが(常駐軍として)とどまった」という情報に「王の心も民の心も、林の木々が風で揺らぐように動揺した」

この時、主は預言者イザヤに、息子を伴ってアハズに会見する事を命じた。

アハズがイスラエルと袂を分かったのは、信仰的動機で独立独歩の道を選んだからではない。彼は計りにかけて、隣国のイスラエルよりも遠いアッシリアの庇護を求めたのである。その結果、シリア・パレスチナ戦争が起こる。だが、アッシリアは支援してくれなかった。ユダは、利用する前に利用されただけで終わった(Ⅱ歴代28:16-21)

アハズ王は、主に従わず偶像に仕えたばかりでなく、自分の子どもに火の中をくぐらせた。その行為はユダの王の名に値しなかった(Ⅱ列王16:2-13)それでも、神はユダを見捨てておられない。



Ⅱ主はイザヤを遣わす(3ー9)

主はイザヤに「あなたの子シェアル・ヤシュブ」を伴って、アハズに会えと命じた。前章で、預言者は「ここに、私がおります。私を遣わしてください」と、神の要請に志願した。これが、最初の派遣である。イザヤは、ここで“子連れ預言者”を演じることになる(いつも連れ歩いたわけではない)子を同伴する理由は明らかにされていないが、必ず意味がある筈である。それは、ここに掲げられた息子の名前から推測する外ない。

シェアルの典型的な用法は、洪水物語で「ただノアと、彼と一緒に箱舟にいたものたちだけが残った」(創世記7:23)にみられる。絶滅の危機に生き「残った」のである。

イザヤが我が子を「シェアル・ヤシュブ」と名付けたのは、神の義の裁きについて啓示を受け止めつつ、神の憐れみは滅ぼし尽くさないと、信仰の確信を表明したものである。

「シェアル・ヤシュブ」は「残りの者は帰る」或いは「残りの者は悔い改める」の意味である。どんな絶望的な状況の中でも、必ず残る者がいる。それが希望である。これは、怯えているアハズに対する、希望のメッセージにほかならないのだが・・・。

「上の池の水道の端でアハズに会い」

長期戦になる時、水場を視察する王の行動はさすがである。しかし、水を案じるが、神を頼みとすることに思い至らないアハズの姿が明らか。水は、いのちを繋ぐ源泉を象徴するものであるから(8:6-7)この場所が選ばれたのには、当然意味があったのである。

「気をつけて、静かにしていなさい。恐れてはなりません」

預言者は、アハズ王に信仰の呼びかけをする“信頼して寄り頼め。腹を据えてどっしり構えよ”と言うことか。モーセも、パロとエジプトの軍勢を恐れる民に同様に語った(出エジプト14:13-14)

「二つの木切れの煙る燃えさし」

これは「レツィンすなわちアラムとレマルヤの子」を指す。アハズには、この二人の王の怒りが、ユダを焦土の地にすると恐れているが、預言者は「煙る燃えさし」に過ぎないと、切って捨てる。

“幽霊の正体見たり、枯れ尾花”という川柳がある。事の真実が見える目と、見えない目がある。痛快ではないか、圧倒的に優勢な敵軍も、預言者の目には「煙る燃えさし」にしか見えない。事実、アラムの首都ダマスコは間もなく滅びる(前732年)イスラエルの都サマリヤも10年後(前722年)に陥落している(Ⅱ列王6:15-17)

現代史では、ソ連の崩壊が良い例である。誰も予見出来なかったが、今はもはや存在していない。

「もし、あなたがたが信じなければ、長く立つことはできない(イム・ロー・ターミーヌー、キー・ロー・テーアーメーヌー)」「信じる」の原義は「踏み止まる」である。信仰がなくては(ヘブル11:6、イザヤ28:16、ローマ10:11)

「あなたの神、主から、しるしを求めよ。よみの深み、あるいは、上の高いところから」

イザヤは、アハズにチャンスを与えた。しかし、頑ななアハズは、偽りの敬虔を持ち出す「私は求めません。主を試みません」まことしやかではないか。この欺瞞から、かの有名な預言が生じる。



Ⅲその名を「インマヌエル」と名付ける

「見よ、処女がみごもっている」

ヘブル語のアルマーについては、多少の論議がある。しかし、ヤングは処女を指すと明解である。この言葉を引用した新約聖書の理解(マタイ1:23)は、紛れもなく処女(パルセノス)である。この預言も、イエス様の誕生まで、誰もその真意を汲み取ることはできなかった。

預言は、預言者の理解を越えた神の啓示です(Ⅰぺテロ1:10-11)この言葉は、イザヤ自身にとっても、メシヤ誕生と受け止めるには、あまりにも唐突ではないか。

「男の子・・・その名をインマヌエル」

イザヤにとって、インマヌエルとは誰だったのか(15-16)

究極的には、イエス様のことを指しています。しかし、時代の聴衆にはどのようなメッセージを持っていたのであろうか。15-16節によれば、決して将来のことではない。現在のことである。

「この子は、悪を退け、善を選ぶことを知るころまで、凝乳と蜂蜜を食べる。それは、まだその子が、悪を退け、善を選ぶことも知らないうちに、あなたが恐れているふたりの王の土地は、捨てられるからだ」

この子が悪を退け、善を選ぶ年頃(10-12才)に、実際に、前述の二人の王の地は捨てられた。

古来、ヒゼキヤ或いはイザヤの別の子などが上げられてきたが、いずれも不適格である。実際、イエス様の外に処女懐胎の例を求めることは不可能である。

すると、ここでは、比ゆ的に考えなければならないであろう。

私的な見解であるが、ここでも、名前を解釈の手がかりにしたい。生まれてくる「男の子」の名は「インマヌエル」である。すなわち「神我らと共にいます」という意味である。

すると、ここに誕生するのは「神我らと共にいます」と告白する、信仰者の群れである。アハズの暴虐と邪悪な政策のもとで、真のイスラエルと呼ぶべき者たちは鳴りを潜めてしまっている、ユダのどこを訊ねても、胸を張って「インマヌエル。神我らと共にいます」と言う者が見当たらない。そのような信仰告白は、過去のものとなってしまったのだろうか。

インマヌエル信仰は、時代の嵐の中で片隅に追いやられることはあっても、決して絶滅しない。エリヤの時代、アハブの不敬虔と暴政のもとで、エリヤは孤独であった。同志が一人もいないと思い込み、神に嘆きの声を上げた。しかし、信仰者が絶滅したわけではなかった。エリヤの目に見えなかったのである(Ⅰ列王19:14,18)

すると、イザヤの預言は「インマヌエル。神我らと共にいます」事を掲げる、信仰者の出現を指していると見てよいのではないか。誰彼と詮索は無用である。無名だが、邪悪に対して、不屈の信仰を持つ者こそ、ユダ再生の希望であり可能性である。

預言者は、17節でアッシリア王の来襲を予告し、その徹底的な略奪を描きながら、22節で「残されたすべての者」を掲げる。この頃、イザヤは「残りの者」の思想に芽生え、不屈の希望を持つに至ったのであろう「彼に信頼する者は、失望させられることがない」(ローマ9:33、10:11、イザヤ28:16)