イザヤ書65章

イザヤ65章        アコルの谷は望みの門

説教にも伝統的な語り口があります。用語から仕草まで自分の師を真似た時代がありました。しかし、時代とともに新しい要素が取り入れられて、変化していくことも避けられません。単なる変化を求めるだけなら、新しい物好きにすぎません。しかし、預言者は歴史的な伝統を尊重しつつも、それまで死角となって見過ごしてきた事柄(私達も“灯台もと暗し”と言う)に目覚め、新しい視点でものを見る喜びを発見します。この章も、預言者の革新的な新しい発見を伝えています。

Ⅰ「わたしはここだ、わたしはここだ」

一般的には「求める者は得、捜す者が見いだす」のが原則です(マタイ7:7)ですから、預言者たちは神に背いてきた人々に「悔い改めて立ち返る」事を促してきました。

預言者アモスは、頑なな人々に向かって「それでも、あなたがたはわたしのもとに帰って来なかった」(4:6、8、9、10、11)と、待ち侘びる神の悲痛な心中を繰り返し述べています。預言者エレミヤも「背信の子らよ。帰れ」(3:12、14、22)と繰り返し呼びかけています。「帰れ」とは「悔い改めよ」と同義ですから、新約聖書に鑑みても、今日でも正当な呼びかけです。

しかし、イザヤは「わたしに問わなかった者たちに、わたしは尋ねられ、わたしを捜さなかった者たちに、見つけられた」と言います。また「わたしはここだ、わたしはここだ」「わたしは、反逆の民、自分の思いに従って良くない道を歩む者たちに、一日中、わたしの手を差し伸べた」と語ります。これはイザヤにとって、大胆で確信に満ちた発見と言えるでしょう。

このような思想が旧約聖書になかったわけではありません。主なる神はエデンの園で「あなたは、どこにいるのか」(創世記3:9)と、アダム捜し求めました。これは、極めて福音的な呼びかけです。主イエスも「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです」(ルカ19:10)と、ご自分の側の積極的な探求を明らかにされました(ルカ15章の失われたもののたとえは、捜す神と待ちわびる神の二面を語る)

3-7節は、イスラエルの実情を告げています。イスラエルは、神の忍耐強い呼びかけに応えようとはしません。神を侮り、礼拝の祭儀を自己満足的なものに貶めて、己を聖とする輩です。このような連中には、神の報復は避けられません。しかし、報復を前提としつつも「わたしも、わたしのしもべたちのために、その全部は滅ぼさない」と、慈悲を見せます。

「残りの者」の思想は、預言者イザヤにおいて確立したと言ってよいでしょう。彼は、神が裁きの日にもあわれみを忘れない方であると確信していたからです。そして、歴史的には汚辱に満ちた裁きの場所であるアコルの谷を思い起こして、したたかな希望を語ります。

Ⅱ「アコルの谷は牛の群れの伏すところとなる」

「シャロンは羊の群れの牧場、アコルの谷は牛の群れの伏す所となる」

シャロンは平原、即ち牧場の意味です。従がってこの聖句は、シャロンとアコルを並べて、アコルの谷も生産的な希望の場となることを語っているのでしょう。

顧みると、アコルは新生イスラエルにとって躓きの記憶です(ヨシュア7:26)イスラエルは、荒野の40年のさすらいを終わり、ついにヨルダン川を亘って約束の地に入りました。しかし、エリコに勝利した直後に罪を犯しました(ヨシュア7:24-26)そのためにアカンとその一族は滅ぼされて石塚ができ、人々はこの地を「アコル(禍をもたらす)の谷」と呼んで後世への教訓としました。アコルとは、イスラエルにとって身の毛もよだつような苦悩の記憶です。

しかし、イザヤより一足早く世に出た預言者ホセアは「アコルの谷を望みの門としよう」(ホセア2:15)と言われる神の声を聞きました。ホセアは苦難の生涯を強いられた預言者ですが、望みに生きた人でもありました「アコルの谷を望みの門としよう」と言う言葉は、具体的には「『愛されない者』を愛し『わたしの民でない者』を『あなたはわたしの民』と言う。彼は『あなたは私の神』と言おう」(ホセア2:23)に通じるものです。

ホセアにしてもイザヤにしても、預言者魂とは不屈なものです。絶望の象徴であるアコルの谷を取り上げて「望みの門」「牛の群れの伏す所」即ち、繁栄の場になると確信するのですから驚きです。さすがはアブラハムの末裔「望み得ないときに望みを抱いた」(ローマ4:18)人々です。

谷の連想には興味深いものがあります。ダビデの「死の陰の谷」(詩篇23:4)や「彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします」(詩篇84:6)など、谷は憂いや重荷を表現するにも拘わらず、希望の湧きだす所でもあります。

11-15節は、上記の希望に与れない者たちの有様を伝えています。

Ⅲ「新しい天と新しい地」

預言者イザヤは、万物が更新される日をどんなに待ち望んだことでしょう。しかし彼は、現実の世界を直視して、人間もこの世界も修復は不可能だという絶望的な認識を持たざるを得なかったと思います。修復が不可能ならば、どうしたら良いのでしょう。メソポタミアの古代都市などは、滅亡するとべつの場所に再建するのが普通です。そうすれば、瓦礫の片づけなど必要ありません。遥かに効率的です。もし、この世界に希望が持てなければ、新たに建設するほかありません(今日、宇宙に新天地を見出そうとしているのは、その亜流です)

ここから、たくましい世界再創造の期待が生まれたと考えられます。人体でも外科手術は最後の手段ですが、内科的な療法では回復不可能と判断されるときに、覚悟の上で決断します。イザヤは、忍耐の限りを尽くして希望を掲げてきましたが、その預言も彼の生涯も終に近づいたとき、神を仰いで「新しい天と新しい地」の創造へと希望を繋ぐことができたのでしょう。

いつも申し上げることですが、預言者には行き詰まりがありません。神を信じ期待するということは、かくのごときものです。周囲のどちらを見ても塞がっているとしか見えないときに、神は逃れる道を必ず残しておいてくださいます。それにしても「新しい天と新しい地」とは奇想天外、何と大胆な発想でしょう。

パウロが「私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません」(Ⅱコリント4:8)と書いた時、彼もまた絶望を知らない者として自分を提示したと言えます。

17-25節には、神の新しい創造による恩恵が詳述されています。

「先のことは思い出さず」忌まわしい過去からの解放があります。喜びと楽しみが帰ってきます。なき悲しむ事は終わり、長寿が与えられます。権利は保障され、作物の実りも豊かです。また、労苦は虚しくならず、平和が訪れます。

この「新しい天と新しい地」は、イザヤの霊的洞察であって決して夢想ではありません。新約聖書の著者たちも、その思想を継承しています。

ペテロは世界の終末を論じながら「その日が来れば、そのために、天は燃えてくずれ、天の万象は焼け溶けてしまいます。しかし、私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます」(Ⅱペテロ3:12-13)と記しました。

黙示録の著者ヨハネは「また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた『見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである』」(黙示録21:1-4)と描写しています。

それ故、太陽も月もいらないとまで語ることが出来ました「新しい天と新しい地」で一番確かなことは「神は彼らとともに住み、彼らはその民となる」という一句に尽きます。イザヤの預言がその場限りのものではなく、使徒たちに継承され、神の国に繋がっていることが明らかにされています。新約聖書は、旧約時代の預言者たちの発見した恵とその表現を、このように大切にしています。