イザヤ書39書

イザヤ39           ヒゼキヤのその後

ヒゼキヤ王は、国家存亡の危機(アッシリヤの侵攻)から奇跡的に救い出された。個人的にも、重篤の病の床から解放された。どんなに喜び感謝したことか。その賛歌については前章で学んだ。

1節に「そのころ」とあるのは、彼が、久しぶりにもろもろの緊張から解放され、安らかな日々を迎えた、まさに「そのころ」である。

しかし「そのころ」の状況を語るもう一つの言葉を見過ごしてはならない。歴代誌記者は、ヒゼキヤ王の高ぶりについて容赦なく描写している(イザヤは書くのが忍びなかったのかもしれない)

「ところが、ヒゼキヤは、自分に与えられた恵みにしたがって報いようとせず、かえってその心を高ぶらせた。そこで、彼の上に、また、ユダとエルサレムの上に御怒りが下った」(Ⅱ歴代32:25)と証言している。

幸い、この件は「ヒゼキヤが、その心の高ぶりを捨ててへりくだり、彼およびエルサレムの住民もそうしたので、主の怒りは、ヒゼキヤの時代には彼らの上に臨まなかった」(32:26)と言われるように、速やかに落着した。しかし、ユダの歴史に禍根を残したことについては弁解の余地がない。

歴代誌史記者は、ヒゼキヤの高ぶりを具体的には語っていない。この章はそれをうかがわせる。

Ⅰバビロン王の見舞い

「そのころ、バビロンの王メロダク・パルアダンは、使者を遣わし、手紙と贈り物をヒゼキヤに届けた。彼が病気だったが、元気になった、ということを聞いたからである」

バビロンの神の名はマルドーク。従がって、メロダク・パルアダンとは“マルドークが私に後継ぎ息子を授けてくれた”という意味である。子どもに期待の命名をするのは当然のことながら、アッシリヤの圧政下では、密かな期待が込められていたと見てよいであろう。

中近東の長い歴史の舞台では、支配的な民族が次々と変わってきた。イザヤの時代は、アッシリヤが圧倒的な力を持ち、中近東を支配下に置いていた。バビロンは、何度も独立を試みたが、そのつどうち砕かれてきたのである。

バビロンがアッシリヤを圧倒する力を持つのは、この時よりも百年余り後のエレミヤ時代である。ネブカデネザルは、エジプトにまで進軍するほど強大な帝国を作り上げたが、それも百年とは続かなかった。ペルシャのクロスが台頭して、これに代わる。人間が支配する歴史の舞台は、実に目まぐるしく変わる。人も時代も万物も流転する。

バビロン王がヒゼキヤに見舞いの使節を派遣したのは、ヒゼキヤの病気を案じ、その回復を喜んだという単純な友好的外交ではあるまい。アッシリアを意識した政治的な意図があったと考えられる。

Ⅱヒゼキヤの歓待

「ヒゼキヤはそれらを喜び・・・武器庫、彼の宝物倉にあるすべての物を彼らに見せた」

ヒゼキヤが外交使節を迎えた時の感動・感激ぶりが伺える。無理もないことである。小国ユダの王を、バビロンの使節が訪れたのである。どうやら、有頂天になったらしい。あまりはしゃぎ過ぎると、冷静な判断力が欠けるのは当然の結果であろう。

たとえ友好国であっても、武器庫を覗かせることなど考えられない(詐欺師に預金残高を見せるようなもの)アッシリヤを追い返したことが、彼を得意の絶頂においたのであろう。とにかく、常軌を逸すると、愚かな事をするものである。

喜びは、時には人を軽はずみにする傾向があるようだ。明るいとは「ア・カルイ(軽い)」人のことだと言うジョークがある。諺にも「勝って兜の緒を締めよ」と言われる。

武器、宝物倉を見せた意図は明記されていないが、本来、これらは秘中の秘として扱われるものではないだろうか。“たかが見舞いの使者如きに”との思いが去らない。

或いは、アッシリヤに対する共同戦線の話題が出た可能性がある。政治の場ではありそうだ。

しかし、先の戦いで、ヒゼキヤ王は、神だけを頼みとする事を学んだのではなかっただろうか。

歴代誌記者が「ヒゼキヤは、自分に与えられた恵みにしたがって報いようとせず、かえってその心を高ぶらせた。そこで、彼の上に、また、ユダとエルサレムの上に御怒りが下った」(Ⅱ歴代32:25)と記述している所以である。イスラエルの箴言は「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく」(4:23)と警告している。

Ⅲことの結末

「そこで預言者イザヤが、ヒゼキヤ王のところに来て、彼に尋ねた」(Ⅱサムエル12:1、Ⅱ歴代16:7)引用した箇所では、いずれも預言者が重大な使命を帯びて登場している。

預言者は、茶飲み友達のように来訪することはない。待ったなしの危機に曝されている時、或いは黙認できない状況が迫っている時など、彼らは傍観者ではない。問題の真っ只中に割り込んで来るのが常である。その意味では、彼らは“招かれざる客”である。

それは、たとえ絶望していても、心砕かれた人々には、悔い改めと救いの希望を開くものである。しかし、自己充足している傲慢な者たちには、受け入れ難い瞬間である。

主イエスが「まことに、あなたがたに告げます。預言者はだれでも、自分の郷里では歓迎されません」(ルカ4:24)と言われた意味を考えてみると良いであろう。彼らは知り過ぎているのである。

預言者たちは、平素は同胞にさえも歓迎されない。しかし、預言者の訪れを心謙って迎えるならば、事態は一変する。

そんな背景があって、イザヤはヒゼキヤを問いただしたのではないだろうか。ここでも預言者は、歯に衣着せぬ物言いをする。

「万軍の主のことばを聞きなさい。見よ。あなたの家にある物、あなたの先祖たちが今日まで、たくわえてきた物がすべて、バビロンへ運び去られる日が来ている。何一つ残されまい、と主は仰せられます。また、あなたの生む、あなた自身の息子たちのうち、捕えられてバビロンの王の宮殿で宦官となる者があろう」と。

国賓とも言うべき客に「武器庫、彼の宝物倉にあるすべての物を彼らに見せた」ことは、こんなにも重要な意味を持っていたのであろうか。

単純なヒゼキヤは、遙々やって来た、しかも自分の安否を問いに来てくれたという事実に、いたく感動したらしい。自分の行為は、感謝と好意の証だと考えるヒゼキヤよりも、預言者イザヤの方が遙に政治的センスがある。

人生にはしばしば誤算が生じる。ちょっとした虚栄心を満足させるために、思わぬ代償を払わせられることがある。それは一様ではない。置かれた立場や責任が十分考慮されないと、取り返しのつかないことになるのではないだろうか。ことに、為政者はよくよく心しなければならない。

Ⅳヒゼキヤの呟き

ヒゼキヤはイザヤに答えた「あなたが告げてくれた主のことばはありがたい(トーブ・デバル・ヤーウェ)」と。彼は「自分が生きている間は、平和で安全だろう、と思った」からである。

これは、英邁なヒゼキヤ王の言葉とは思えない。

「ありがたい」は、主の言葉は「正しい(良い)」と言うほどの意味である。少なくとも、ヒゼキヤには弁解の余地がなかった。自分の誤りに気づいたのであろう。

しかし「自分が生きている間は、平和で安全(シャーローム・ヴェエメス・ベヤマーイ)だろう、と思った」という言葉をどのように理解すべきだろうか。

この言葉のニュアンスは微妙である。彼の言葉には利己的な匂が避けられない。多くの解釈者は、ヒゼキヤに好意的な理解を持つが、イザヤの厳しい詰問と、破綻の預言から考えるなら、火事場から逃れた者に通じる言葉ではないだろうか(Ⅰコリント3:15)

自分の在任中は無事であれと願わない者がいるだろうか。“わたしの在任中は問題がなかった”と人は弁明する。しかし、既に種が蒔かれていた事をありうることなのである。

ユダの滅亡は、およそ百年後に成就する(Ⅱ列王24:10-25:17)