イザヤ書37章

イザヤ37          あなたの神、主は

36章で、アッシリヤ軍の包囲と恫喝に怯えたヒゼキヤは「自分の衣を裂き、荒布を身にまとって、主の宮に入り、宮内長官エルヤキム、書記シェブナ、年長の祭司たちに荒布をまとわせて、アモツの子、預言者イザヤのところに遣わした」

しかし、列王記や歴代誌を参照すると、そのプロセスは、それほど単純ではなかったことが明らかである。

ヒゼキヤは、即位すると、矢継ぎ早に宗教改革を進めた。祭司やレビ人たちもヒゼキヤに応えて協力を惜しまなかった。おそらく、アハズ王の狂信的な振る舞いに悩まされてきた者たちが、新しい王ヒゼキヤに期待した結果ではないだろうか。そして、改革は進んだらしい。

しかし、ヒゼキヤ治世の第六年には、同民族である北イスラエルがアッシリヤに滅亡させられた。歴史的に考察するならば、北イスラエルと南ユダとは、それほど友好的な関係を保ってきたわけではない(直前のシリヤ・エフライム戦争では、敵味方に分かれて戦った)

それでも、ダビデ・モーセ・アブラハムに遡る兄弟部族の壊滅を見せられたユダとヒゼキヤとは、私たちの想像もつかないほどの絶望感に陥ったのではないだろうか。

初めは「強くあれ。雄々しくあれ。アッシリヤの王に、彼とともにいるすべての大軍に、恐れをなしてはならない。おびえてはならない。彼とともにいる者よりも大いなる方が私たちとともにおられるからである。彼とともにいる者は肉の腕であり、私たちとともにおられる方は、私たちの神、主、私たちを助け、私たちの戦いを戦ってくださる方である」(Ⅱ歴代誌32:7-8)と、民衆を励ましたヒゼキヤであったが、時間の推移の中で弱気になり、後には「私は罪を犯しました。私のところから引き揚げてください。あなたが私に課せられるものは何でも負いますから」(Ⅱ列王18:14)と、アッシリヤ王に懇願している姿はあわれである。

ヒゼキヤ王は、少年時代からイザヤの影響を受けていたと考えられる。しかし、イザヤは、ヒゼキヤの宗教改革の最中、一度も顔を出していない。私たちが知る限りでは、ヒゼキヤが預言者イザヤと直接交渉を持つのはこの時が初めてである(治世の第14年)

ヒゼキヤは確かに英邁な王であったが、もしかすると、この時までイザヤを必要としないほど、独断専行型だったのかもしれない(他の王たちのように、不信仰と偶像礼拝に明け暮れたわけではない)今や、力尽き、知恵も尽きて、原点に呼び戻されるようにイザヤを求める。

ヒゼキヤは、主の宮に入っても、彼の父祖ウジヤ王のように宮で香を焚くことはなかった。しかし彼が果敢に進めた宗教改革は、終始、王のリーダーシップに依存していたらしい。政教分離が徹底されたともみえない。イザヤの登場が求められる次第である。

Ⅰヒゼキヤの懇願とイザヤの勧告(3-7)

ヒゼキヤは自ら「衣を裂き、荒布をまとい」使者たちにも「荒布をまとわせて」イザヤの所へ派遣する。彼の言葉は悲痛極まりない「きょうは、苦難と、懲らしめと、侮辱の日です。子どもが生まれようとするのに、それを産み出す力がないのです」と。

王服を裂き荒布を身にまとう姿は、時には怒りの激しさを表すものであるが、ここでは、悲しみと謙って悔い改める光景であろう。敵の脅しには怒りを感じることもあるが、神の前では悔い改めが第一歩である。

「あなたの神、主」

ヒゼキヤは、20節で「私たちの神、主よ」と呼びかけている。彼は、主を自分の神とする信仰を失っているわけではない。その意味では、イザヤの神とヒゼキヤの神とは同一です。しかし、ここで敢えて「あなたの神、主」と、2度繰り返している事実は注目に値する。

これは、ヒゼキヤ王が、預言者イザヤに(遅まきながら)絶大な信頼を寄せていることを表現しているのではないだろうか。

イザヤの励ましは簡潔です「恐れるな・・・彼を剣で倒す」と。この章の終わりには、アッシリヤの王セナケリブが、神殿で礼拝中に息子たちに打ち殺されたことが記されている。

主イエスは「剣を取る者はみな剣で滅びます」と言われた。アッシリヤの王は、その剣を振るって諸国を悩ませてきたが、彼の末路は余りにも儚い。自分の神(神殿)の前で、息子の手によって殺された。実に“驕る者は久しからず”ではないか。

蛇足であるが、この間に、一つの国際事情が生じた。アッシリヤは破竹の勢いで進軍してきたが、南のクシュ(エチオピア)からティルハカが歴史の舞台に登場してきた。それ故、アッシリヤは、目前の懸案を一刻も早く処理したいと、焦燥感に駆られたらしい。

Ⅱヒゼキヤの祈り(16-20)

ヒゼキヤは、イザヤに使者を遣わし「残りの者のため、祈りをささげてください」と要請した。しかし、イザヤはヒゼキヤに祈る事を求めたらしい。彼は、使者の手から手紙を受け取ると、主の宮で開き、主に祈り始める。この祈りは簡潔で要を得ている。

「ケルビムの上に座しておられるイスラエルの神、万軍の主よ」

神を知ることが、祈る者に勇気と希望を与える。“鰯の頭も信心から”と言われるが、これで気休めになるのだろうか。ヒゼキヤは、創造者を仰ぎ、唯一で全能の神に呼びかけている。

彼は、自分が置かれている窮状を認識している(余談だが、自動車会社のリコールも、ガス器具メーカーの場合も、食品会社の場合でも、担当者ばかりでなく組織のトップまで動転して、最善の処置を謀る前に、隠ぺい工作をする。結局、取り返しのつかないことに成る。彼らは、事の重大性を認識していないと言わざるを得ない)恥ずかしく辛いことではあるが、事実を踏まえないと、確かな展望は見えてこない。

ヒゼキヤは「あなただけが主である」と告白して、ひたすらに祈る。アサ王にも同様の祈りがあった(Ⅱ歴代14:11)

Ⅲ主の託宣

「わたしに祈ったことを、わたしは聞いた」何と心強いことか。

22-29節は、アッスリヤに対するものである。シオンの娘はあなたをさげすむ(無力化)だれをそしり、ののしったのか(無知)あなたは聞かなかったのか(無知と傲慢)わたしは知っている(弁解の余地無し)

30-35節は、ヒゼキヤに対する慰めと激励

包囲されると、真っ先に食料が尽きる。田畑も荒らされることが避けられない。その中で、30節の言葉は、慰められる。初年と二年目は、落ち穂から生えた物を食べ、三年目は種を蒔いて刈り入る。31節「ユダの家ののがれて残った者は下に根を張り、上に実を結ぶ」は、逃れた者、残った者の復帰と繁栄を約束しているそして、決定的なのは「万軍の主の熱心がこれをする」

「主の使いが出て行って」

アッシリヤの軍勢18万5千人を打つ(歴史家ヘロドトスは、鼠の害・ペストを示唆している)

平家物語には、富士川を挟んだ源平の合戦において、平家が水鳥の羽音に驚き戦わずに背走した故事が記されている(時には、うわさに怯えて敗走する場合もある)

私たちは、エルサレムの城壁の外で何が起こったのかを正確に知ることはできない。主の使いが直接戦ったわけではない。しかし、異常なことが起こったのは確かである。人々は敵も味方も皆、まさしく神の御手が働かれたと受け止めたのである。



アッシリヤ王セナケリブの末路

「彼がその神ニスロクの宮で拝んでいたとき、その子のアデラメレクとサルエツェルは、剣で彼を打ち殺し、アララテの地へのがれた。それで彼の子エサル・ハドンが代わって王となった」

アッシリヤ王の子等の継承争いが、セナケリブ王を滅ぼしたようである。この世の覇者たちは、いったい誰のために権勢を求めるのか。