イザヤ34 国々よ、諸国民よ聞け
Ⅰ主の復讐の日
『聞け』、国々も、諸国の民も、全地も、世界も、万物も
人間の罪は自然界の秩序を損ない、意思なき被造物もまた虚無に服している(ロマ8:19-2)が、世界とその中に存在する全ての物は神のもの(詩篇50:12)です。
『主が・・・怒り、憤り・・・』
聖絶が神の意思なら、誰も止めることはできない。主が自ら手を下さなくとも、主が世界を放置されるなら混沌は止まることを知らない。世界がたちどころに滅びないのは神の慈悲の抑止力によるのです(ヨハネ5:17)
『天の万象は朽ち果て』
月、星、太陽もやがて枯れ落ちるのか? その罪の故ではなく、被造物を拝んで創造者を排除する人間の愚かな偶像礼拝に汚されているからである。諸国民は今なお日や月を拝んでいるが、イスラエルの預言者達は創造者と被造物を取り違えることはない。
『主の復讐の日』、主の剣にためらいはない
人の心に生ずる躊躇いは、第一に欲望、第二に周囲への恐れ、第三に見せ掛けの慈悲
これらすべては、不信仰・不従順に根ざす(Ⅰサムエル15:3,9,24,) 。
「ボツラ」はエドムの都です。
エドムの裁きは片隅の出来事ではない。
エドムはエサウの子孫。この民は血を流すのに早い。ヘロデ大王(母を殺し、妻を殺し、子供たちを殺した)はエドムの子孫と言われる。他人の血を流す者が今や己の血を求められる。しかし、預言者の救いの希望には、エドムも除外されていない(イザヤ63:1)
「復讐するな」とは神の戒めです。何故なら、誰も復讐する正当な権利を持たず、神だけが復讐の権利を持ち、「復讐は私のすること」(ロマ12:19)と言われる由縁です。
Ⅱ廃墟と化す(11節のトーフー、ボーフーは創世記の1:2の状態)
『エドムの川は』、
水はピッチ(タール)に
土は硫黄に(ソドムとゴモラを連想させる・創世記19:24-29)
夜も昼も絶え間なく、代々にわたって廃墟となる
『住むものが居なくなる』
ペリカンと針ネズミ、みみずくと烏
いばらといらくさやあざみ
ジャッカルとダチョウ、山犬、野山羊(サティロス)、こうもり(リリス、子を奪う魔女)、蛇
Ⅲ主の書物を読め
『主の書物』,(アモス1:11-12)には、神の言葉の飢饉が警告されている。
主の口、主の御霊の働き
土地分割を記したヨシュア記を想起する。約束の地はいたずらなら、
主の手による測量、
永久まで所有。