イザヤ22 幻の谷に対する宣告
悔い改めないユダへの預言
ユダの精神的な罪の強調
1 彼らの臆病と空しい誇り(1ー4)
『屋根に上って・・・おごった都』これがサマリヤの陥落の時か、セナケリブの敗退の時か、或いはさらに別の時のことであったのか断定しがたいが、状況としてはユダが当面の敵から解放されて一息ついているときのことです。
賑やかなお祭り騒ぎが聞こえてきます。預言者にはそれが許しがたいのです。神の哀れみは危機を救ったが、彼ら自身の実態は恥べきものです。今は喜ぶよりも、悲しみをもたらせた自分たちのふ信仰を悔い改める時なのです。
2 彼らの人間的なものへの依存(8ー11)ユダも戦いに備えて手をこまぬいていたわけではない。『武器に目を向け・・・池の水を集め・・・』
人は戦いの日の為に馬を備える(軍馬)ことは知っているが、勝利は主にある事を忘れます(箴言21:31,イザヤ30:1)。武器、食物、水、城壁と心を配るが、唯一の救い主を求めない。
『無くてならないものは・・・一つです』
3 彼らの不従順・不信仰(12ー13)
『飲めよ、食らえよ・明日は死ぬのだから』
「死ぬつもりなら何でも出来る」と言うが、最後まで出来ないのが「悔い改め」か。パウロはこのような台詞は復活に望みを持たない自暴自棄の者の言葉だと言う(・コリント15:32)。
4 彼らの致命的な邪悪(14)その生き方は、神有りて神を頼まず、赦し有りて赦しを得ず。
分かたれる運命
1 執事シェブナ(37:2)『宮廷を司る』役職のことか? 或いは権力を欲しいままにしている姿か?『墓を掘った』、ケデロンの谷に「王家を治めた・・・の墓」がある。シェブナもその様にしたが、彼自身は外国に追放され(19)墓は無益となった。
『広い地』は詩篇(18:19,31:8)などでは解放を意味するが、ここでは荒野か?シェブナに個人的にどの様な罪が有ったのか不明です(36:11)
2 宮内長官エリアキム。推測できる事は、何かの理由でシェブナが長官エリアキムよりも実権を握り、支配を思い通りにしていた。職制としては長官が執事より上だが、将軍家の側用人、宮廷宦官などが弱体化した王権を私物化したのと同様か。
『ダビデの家の鍵を彼の肩に置く』(黙示録3:7,マタイ16:19) シェブナに代わるのみか、ユダの家をあずかる。鍵についての用法は他にないが、自由な裁量権を意味するのは明らか。
『彼を一つの釘として』釘とはテントの杭のこと。植える、打ち込むと言った表現は神様の保証の表現です。確かな場所に深く鋭く打ち込まれた釘は、神による安全保障、子孫の代まで
『栄光の座』。
3 その日 かの釘は抜き取られ、折られて落ちる。