イザヤ書20章

イザヤ研究20   イザヤがしるしとなる



預言の年代アッシリヤの王サルゴン2世(B.C.721-705)           

B.C.733 シリヤ・エフライム戦争、アッシリヤの王はティグラテピレセル3世(744-727)

732 ダマスコ陥落(シリヤ地方は併合される)        (726-722)

  722 サマリヤ陥落 アッシリヤの王はシャルマネセル5世

  713-711 アシュドデ(ペリシテの町)を中心に反乱(ヒゼキヤも加わる)

712 ヒゼキヤ(728-700) 屈伏、朝貢を余儀なくされる。

  701 セナケリブ(704-681) にエルサレムを包囲される。

預 言 者 し る し と な る 

『主はイザヤに』

「腰の荒布を解き」ここにも言葉だけではなく預言者自身がしるしとなることが求められている。それは見る者にとって奇異な姿であり見過ごすことは出来なかったでしょうが、聞くことの出来ない者は見ることも出来なかったであろう(6:9)後に預言者エゼキエルもしるしとなることを求められた。

 足のはきものを脱げ・モーセやヨシュアは神聖な領域で履物を脱ぐことを命じられたが、これは別。神に従うと言うことには功利的な意味は少しもない。こんなにみっともない姿を曝したからといって、世が挙げて神に帰るわけではない。

 裸と裸足、恥を曝し無防備で三年間もエジプトとクシュ(エチオピヤ)に対するしるし、それは周辺の国々にエジプトとクシュを当てにすることの虚しさを示す。

エジプトの第二十五王朝はエチオピヤ人支配(716年ー663)その間、反アッシリヤ運動を支援する

 アッシリヤは(671-655)までエジプトを支配する

ア シ ュ ド デ の 嘆 き 

『人々は・・・おののき恥じる』

 これはアシュドデ(ペリシテの町)の住民を指す

 エジプトは頼もしい友だったろうか?

 イスラエルの歴史を顧みると、アブラハム以来エジプトに逃れるのが常だった。イサクもヤコブもエジプトを頼みとし、王国時代もその力の傘を頼みとしてきた。危急を凌いだことはあったが、本来神の民が頼るべきものではなかった。(イザヤ30:3-5,31:1,36:6)

 海辺の住民は助けがなく絶望的・アシュドデ(ペリシテの町)が反アッシリヤ運動の拠点となりえたのはクシュの支援があったからです。傷ついた葦に寄り掛かったと言うべきか。

 神の民には絶望は有りません。アブラハム(ロマ4:18)ダビデ(・サムエル17:47)アサ(・歴代14:11)ヒゼキヤ(イザヤ37:15-17) ヨブ(ヨブ13:15) パウロ(・コリント4:8-9)