イザヤ書19章

イザヤ研究19 エジプトへの託宣 



Ⅰ エ ジ プ ト の 崩 壊 

『見よ、主は・・・来る』

 「見よ」とは奢り惰眠を貪る者に取っては警告であり、裁きの宣言でさえあるが、   希望を失いかけている者には慰めと励ましの新たな出発点ともなる。「主は来る」、主の時に来るのです。人は自分の時計を持って時代を測るが、すべてのことには神の時が有る(Ⅱペテロ3:4)。「速い雲」雲は神の臨在の象徴(雲の柱)であり、神の乗物(詩篇68:4,104:3)

『エジプトの・・・混乱』

 「エジプトの偽りの神々」は幾つ有っても無益、「エジプト人をエジプト人にはむかわせる」これは悲劇です。兄弟、友人、町、王国と対立抗争の枠が広がっていく。しかも一番身近な所から「混乱」協力しなければならないときに混乱が生じ、分裂が引き起こされる。

「霊媒や口寄せ・・・」これらは神が最も憎まれるもの。偶像礼拝者の最後の砦。

『きびしい主人、力有る王』エチオピアのシャコバ(B.C.716-695) であったか?



『エジプトの河川は干上がり』

 エジプトの繁栄はナイルの氾濫(洪水)に依存していた。古代文明が大河のデルタ   に生まれたのは周知の事実。水が干されると言うことは致命的ダメージです。

『漁夫たちは悲しみ・・・』初めに直接の影響を受ける者がおる。しかし、これは他人事ではない。他の企業の労働者にも連鎖していきます。人間社会の営みは、人体と同様に有機的関係を持っている。回り回って自分にも係わる。利己的に振る舞うことは、長期的に考えると結局自分を傷つける事になる。熊本の公害企業窒素の有明海汚染と水俣病の苦悩

『首長たち・・・議官たち』の無策ぶり

 官僚たちは保身に長けているが、公僕であることを忘れている。今日の日本でも、大義名分は振りかざすが、既得権や利権から離れられず公儀を行うことに遠い。今日人々が政治に対して絶望的なほど無関心なのは同情出来るが、悲劇です。

ツォアン(タニス)、ノフ(メンフィス)はエジプトの代表的な都市、『よろめく霊』(・列王22:20-23)

Ⅱ エ ジ プ ト へ の 祝 福  (13章以来の結論と見る学者あり)

『ユダの地はエジプトにとって恐れとなる』・かつて無かったこと、

『主に誓いを立てる五つの町』 (ユダヤ人の植民地と考える者もあるが?)

 イル・ハヘレス(太陽の町)、(滅亡の町)

『主のために祭壇』

 エジプトの国の真ん中に(これらは離散者ではない)

『主に叫ぶとき』

 主は万民の主です。主には国境が無い。

『主は打ち、いやす』・主の意図は明白です。

『アッシリヤ・・エジプトも主に仕える』

 預言者は独善的な選民意識に捕らわれず。

『その日』

 主の祝福・私の民エジプト、私の手で作ったアッシリヤ、私の民イスラエル