イザヤ書18章

イザヤ18       エチオピアに対する託宣



・ ク シ ュ 

  普通、クシュはエチオピアと考えられます。しかし、今日のエチオピアよりも北に位

置していた。イザヤ時代のクシュはエジプトを支配していたと言われる。エチオピアの皇

帝ハイレ・セラシは自分がソロモンとシバの女王の末裔だと主張していました。因みに、

エチオピア憲法がそれを明記していました(今日皇帝は退位させられた)。



 クシュの名はハムの長男でニムロデの父にまで遡ります(創世記10:6-8)

 『羽こおろぎの国』

   羽音を鳴らすものの意、ヘロドトスはエジプトに昆虫が多いことを記録している。

   すると、敬意を込めたと言うよりは、侮りを秘めた表現

 『パピルスの船・・と海路』

   パピルスは紙の材料として知られているが、小舟の材料ともなった。

   海とはナイル川のことでしょう。

   彼らは水上交通を巧みに利用する。

   そのお株を奪うように、『すばやい使者を派遣する』

   ここには、遣わす者(クシュ)に使者が遣わされる逆転現象が描かれ、それは、2

   節と7節の対比を生み出している。

 『背の高い、はだのなめらかな』(エレミヤ13:23)

   ヘロドトスはエチオピア人を「世界中で最も背が高く、また美しい民族」と呼ぶ。



・ 世 界 の 全 て の 住 民 よ 

 『見よ。・・・聞け』

  歴史の中で、世界の真っ只中で起こることをしっかりと見つめ記憶に止め、そこに見

られる主の深い御心を悟らなければなりません。偶然の出来事として見過ごす者は神のみ

声を何一つ聞き取ることは出来ません。

 『私は静まって・・・』

  神は全てを承知の上で、農夫が収穫の時まで夏の暑さや労苦に耐えるように、罪が熟

するのを待ち手を差し延べられる。しかし、これは刈り取りの時なのでもはや一刻も猶予

はなりません。「神の臼はゆっくり挽くが、細かく挽く」と言われます。裁きは遅いよう

だが、決して見過ごすことは有りません。



・ 主 の 主 権 の 下 で 

 刈り取られたブドウのつるになぞらえられた者達は、今や猛禽・野獣の仮の宿となる。

 『その時』

  美しくはあるが、『力の強い、踏みにじる国』と恐れられたエチオピアから、シオン

の山に『贈り物が運ばれて来る』

  神はあたかも猛獣使いの如く、強く激しい国々を意のままに操られます。そして、そ

の事を確信し露も疑わない信仰の目にだけ時代の展開が見えてくるのでしょう。

  預言者の霊的洞察力は神に信頼するが故に不屈です。イザヤの時代、ユダは疲弊して

おり外国に貢を送っていたのが現実でした。これは愛国的な預言者にとって不名誉で屈辱

的な姿に見えたことでしょう。

  ・・列王16:7-8はアハズのアッシリヤに対する隷属的関係を物語ります。

  ・・列王18:13-16には名君ヒゼキヤでさえもアッシリヤの王セナケリブの怒りを静め

   るためにはどんな屈辱的な犠牲でも払う覚悟をして、主の宮の柱や扉の金を剥がし

   て貢いだ事実が書かれています。

 しかし、今彼が見ているのは、エルサレムに運びこまれる贈り物です。

・主に信頼する者は失望に終わることがありません。