イザヤ書16章

イザヤ16          モアブに対する宣告2



・ 悲 惨 な モ ア ブ (前章に続く)

  『子羊を送れ』

   セラ(エドムの領地)

  (・列王3:4)にはモアブの王メシャが十万の小羊と、十万の雄羊の毛をイスラエル

   に納めていた記録がある。



『モアブの娘たち』

   アルノンの渡し場

   投げ出された巣のように(箴言27:8) 『空の鳥には巣がある』しかし、人為的に投

げ出された巣は如何に悲惨なるか



 『一つの王座が堅く立ち』

   助言

   昼のさなかにも、夜のように(灼熱の太陽から守るように、覆い匿う)

   隠れ家を提供する(大戦中、ユダヤ人を匿った人々あり)

   時が満ちると



・ モ ア ブ の た か ぶ り 

  『モアブのたかぶり』

   誇り、高ぶり、自慢話(メシャ碑文〔1m程の大きさ、パリのルーブル所蔵〕はそ

   の典型)、・列王3章と思われる戦果が記されている。



  『それゆえにモアブは』

   泣きわめく

  キル・ハレセテ(石地に変えられた町の意)のぶどう菓子(銘菓か?、雅歌2:5)

   ヘシュボンの畑(詩篇4:7 穀物やブドウの豊作は確かに大きな喜び)

  シブマのぶどうの木(今日では、良質のブドウ畑を見ることはできない)



  『そのつるは伸びて海を越えた』



  『わたしはわたしの涙であなたを潤す』(正義の神は剣を納めず、涙を流す)

   神の義と愛の矛盾、これを解く鍵は十字架を他にしてない。

  『わたしのはらわたはモアブのためにわななく』(エレミヤ31:20)

  預言者の目にはようやくモアブの為に泣く者、心を痛める者が見えてくる。

   喜びを奪う方が、喜びを再びお許し下さる方です。

   『神は人ではないから悔いることはない』と言われます。されど創造者は人の心に

    住まわせた霊を妬むほどに慕っておられます。大洪水で地を滅ぼされたときも、

   『心を痛めた』のは神ご自身です(創世記6:6)



『モアブの礼拝』

   むなしい偶像礼拝(無益な徒労に過ぎず)

  避けることの出来ない日が来る

   三年のうちに。日限を付けられて。

この章には預言者の理解を越えた託宣が有るように思われる。預言者にとって正義の神

の裁きを宣言することは明らかな事です。神の許しを語ることも確信できます。けれども

これでもか、これでもかと鞭打つ神と、はらわたをわななかせる神の姿は理解を越えてい

なかったろうか? (エレミヤ31:20)に至って神は更に深く理解されるのか?