イザヤ書14章

イザヤ14             野心と末路



 主の日は圧政者には苛酷な裁きの日となるが、虐げられた人々には慰めと解放・復興の

日となる。それは主の哀れみが尽きないからです(エレミヤ哀歌3:22) 。聖書の在留異国

人の処遇は深い哀れみに根ざしている事を銘記すべきです。国土、国境を定めたのは創造

者の深い知恵に基ずくもの(使徒17章) です。すると、そこから締め出された難民たちは

エジプトに置かれたイスラエルの如く神の哀れみの対象そのものです。



・ バ ビ ロ ン の 王 に つ い て 

  ・嘲りの歌

    横暴の終焉

    当事者の節度や慈悲に期待は出来ない。悪は飽くことを知らない。

    同級生を死に追いやる苛めを「おもしろい」と言う。

    主の介入。主は忍耐強いが悪の支配を見過ごしてはおられない。

  ・下界のよみの歓迎

    汝も例外ならず

  ・『暁の子、明けの明星』(ヘレル・ベン・シャーハル)

    星はメシヤをも指す(民数記24:17,黙示録22:16)

   この語はバビロン王の卓越した姿を描写している。

確かにネブカデネザルは金像を拝ませ、その後野に追われる(ダニエル 3,4章) 。テル

トリアヌスや大グレゴリウスはこのテキストにサタン堕落の経緯を読み取る(ルカ10:18)

が、ヤングはこれをサタンに適合させることは出来ない(it cannot apply to Satan) と

主張する。しかし、ここには最初の効果的な誘惑、「神と等しく、神より上に、神不要」

と言うエデン以来のそしてサタンより来る反逆の本質を見る。少なくともサタン的なもの

を見過ごしてはならない。

 バビロンは始めからサタン的支配を代表するものとして描かれている(創世記10章ニム

ロデの治めたシヌアル) 。エジプトやアッスリヤさえ悔い改めの機会が与えられると約束

されているが(19:23,27:13) バビロンにはその如き言及が見当たらない。ヨハネは黙示録

でサタンの帝国をバビロンと呼んでいます。(バビロン帝国が滅びて幾百年も経つのに)

・見る影もない姿

人々の驚き



・ ア ッ シ リ ヤ の 裁 き 

  ・主の誓い

    私の考えたとおりに事は成り

   主の御手

    だれがそれを引き戻しえよう。



・ ア ハ ズ の 死 ん だ 年 

  ・ウジヤの死、アハズの死は預言者イザヤにそれぞれ転機となる

   アハズは国王でありながら、国民を悩ました。彼の死は国家的悲嘆の時ではなく、

   迷妄からの解放と新たなる希望の時となる。

  ・『喜ぶなペリシテの全土よ』

    蛇の子孫からマムシ、その子は飛びかける燃える蛇

    残りの者は殺される

 ・『寄る辺のない者・・・』(詩篇34:10)

    養われ

    安らかで

 『主はシオンの礎を据えられた。主の民の悩む者たちは、これに身を避ける』