イザヤの時代背景

イザヤの時代背景 
イザヤが旧約最大の預言者であることは論をまたない。しかしその統一性については数々の議論がある。第二イザヤ、第三イザヤ・・・による長期間の集大成と見る学者が多い。
因みに、第二イザヤ(40-55)第三イザヤ(56-66)は、バビロン捕囚期後の、無名の著者によるとされる。しかし、批評家の意見はまちまちで、区分も時代も統一を見ることが出来ない。
主イエスは、ヨハネ12:38(53:1)、40(6:10)を、イザヤの名の下に引用しておられる。
パウロも、ローマ9:27-33(10:22、1:9、13:19、51:1、8:14、28:16)を引用し、イザヤの名の下に10:15-21(52:7、53:1、65:1、65:2)を引用している。

イザヤはいつの時代に活動したのか。それは、どんな時代だったのか。預言者はどんな役割を果たしたのか。イザヤは60年に亘って活躍している。その間、時代は絶えず変化していたのである。日本の戦後60年を顧ると歴然としている(鬼畜米英、英語を敵性言語と決め付けたが、今では・・・)

イザヤは前8世紀、日本は縄文時代、邪馬台国は3世紀、聖徳太子は7世紀、空海は9世紀。

時代背景

1章1節によると、預言者イザヤは、ユダの王ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの四代(約60年)に亘る時代に活躍したことが明らかである。
6章1節は、イザヤが本格的に預言者として召命を受けたのは、ウジヤの死が契機であったとする。旧約の預言者や歴史を学ぶ時、イスラエルが北イスラエルと南ユダに
分裂していた事実を心に留めて置かなければ混乱する(ソロモンの子レハベアム時代に分裂し、北はBC.722年にアッシリアに滅ぼされ、南はBC.587年バビロン捕囚が始まる)

●ウジヤ王(787-736)は、敬虔で有能でありユダの復興に貢献した。治水事業や農業政策にも関心を示し、政治経済的にも繁栄を極めた。しかし、強くなるに及び、
心が高ぶり、不治の病となる(Ⅱ歴代誌26:3-5、7-10、16-21)ウジヤ発病の頃、青年イザヤの預言活動が始まったと考えられる
(6章は、イザヤに献身の意味を再認識させている。活動そのものはウジヤの生前から始まっていた)
●ウジヤの子ヨタム王(759-744摂政)は、好意的な評価を得ている(Ⅱ歴代27:1-6)父の傲慢と、主の裁きを目の当たりにして、それを教訓としたのであろう。
“人は環境の動物”だと言われる。確かに、自然環境や人的環境が人に与える影響は大きい。良い環境を次代のために整えることは、今を生きる者の責任である。しかし、人が置かれた状況だけですべてを説明する事はできない。賢い両親から不肖の子が生まれる事があり(Ⅱ列王18:5、21:2-6、ヒゼキヤの子マナセ)愚かな親から敬虔な子が育つ(Ⅱ列王21:20、22:2、アモンとヨシア)事もよくある。これは、神の公平の証であり、人が絶望的境遇に置かれても望みを失わない理由である。
●アハズ王(744-729)Ⅱ列王16:1-20
アハズもウジヤの生前に即位したが、不敬虔で冒涜的である。彼は、異教の風習に習って我が子を火に焼いた(Ⅱ歴代28:3、エレミヤ7:31、19:5、32:35)
シリヤ・エフライム戦争(733年、イザヤ7:1-17)において、アハズは一貫した政策が持てず、ご都合主義に走る。シリヤとイスラエルは、アッシリヤの脅威に対抗するために、ユダに同盟を求めたが得られず、一転して、アッシリヤと結んだユダに攻め込む。
イザヤはこの時「静かにし、恐れるな・・・信じないならば、立つことは出来ない」と警告した。預言者の目には、敵は燃え残りの燻った切り株としか見えないが、信仰も無く動転したアハズは、アッシリヤと手を結んでこの危機を逃れる道を選んだ。その結果、ダマスコの祭壇の設計図を持ち帰り、偶像礼拝を盛んにし、国を霊的にも弱体化させたのである。
●ヒゼキヤ王(728-700)Ⅱ列王18ー20章
彼は敬虔で勇気も有ったが、アッシリアとの関係は隷属関係でスタートせざるを得なかった。預言者イザヤを父のように慕い、その関係は良好であった。祈りの助けを求め、励まされ強められた。


このように見ると、イザヤの預言者活動は60年に及ぶと考えられる。伝説は、ヒゼキヤの子マナセの下で、鋸で引かれて殉教したと伝えている(ヘブル11:37)

同時代の預言者アモスのメッセージが義、ホセアは愛とするなら、イザヤは聖と言える。おそらく6章の強烈な幻は、イザヤの生涯を貫いて彼を支えたことか。イザヤ書の特徴的な用語の一つは、神を「イスラエルの聖なる方」と繰り返し呼ぶ(32回中、イザヤ書に1:4、5:19など25回)

彼における「聖」は、観念的概念に陥りやすい分離という意味を義と調和させている(5:16)そこでは、倫理的要求も無視することはできない(出エジプト16:6、22:31、Ⅰペテロ1:15-16)

40章以後は、慰めと希望に満ちた類のないメッセージが展開する。イザヤと共に、私たちも自分が生かされている時代を洞察し、揺るぎない信頼を神に置いて希望の福音を証言したい。

預言書本文に取り組む前に、以下のことは確認しておかなければならない。そうでないと、無用な混乱を招くことになる。

預言者は、神の言葉を預かって語る

それ故、その言葉には権威がある。しかし預言者は人である。神は全知全能であるが、人は小さな存在に過ぎない。よって預言者も啓示のすべてを理解していたわけではない。

ペテロは「それには何よりも次のことを知っていなければいけません。すなわち、聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない、ということです。なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです」(Ⅱペテロ1:20-21)と書いて、預言の解釈に慎重さを求めました。

また「この救いについては、あなたがたに対する恵みについて預言した預言者たちも、熱心に尋ね、細かく調べました」(Ⅰペテロ1:10)と明かしている。

預言の第一義的な聴衆は、基本的に同時代人である

預言の言葉が持つ究極的な意味は、しばしば預言者にも隠されている。指し当たって、目の前にいる人々に語りかける意味を追求しなければならない。さらに探求し続けることによって、隠された意味が明らかになっていくのである。

主イエスについて、大祭司カヤパの発言と、聖書記者の解釈は興味深い(ヨハネ11:49-53)

その年の大祭司であったカヤパは「あなたがたは全然何もわかっていない。ひとりの人が民の代わりに死んで、国民全体が滅びないほうが、あなたがたにとって得策だということも、考えに入れていない」と言った。

ヨハネはこれを「彼が自分から言ったのではなくて、その年の大祭司であったので、イエスが国民のために死のうとしておられること、また、ただ国民のためだけでなく、散らされている神の子たちを一つに集めるためにも死のうとしておられることを、預言したのである」と解説している。そして、ユダヤ人たちは「その日から、イエスを殺すための計画を立てた」

カヤパが意図しているのは、自分たちの安全である。しかし、彼の言葉には、彼自身が理解していなかった意味が込められていたのである。

イザヤは四代の王たちの治世にかかわった。それは、60年の長きに亘る。換言すると、青年の時に始まって、老年に至る活動である。そこには、預言者自身が成長していくプロセスがある筈である。その語る言葉は、一貫性を持ってはいるが、表現方法は異なるのである。

また、60年と言うと、我々の時間で言うなら、戦後から今日までである。この間に、政治経済などの変化は著しい。個人が不変の価値観を持っていたとするなら、振り回され続けである。自分の考えを持たなければ、時代の潮流(激流)に翻弄され続ける。そのような中で、預言者の言葉は、歓迎されたり拒まれたりする。

それ故、出来る限り、時代背景を理解して、言葉の意味を理解する努力をしなければならない。それは容易ではないが、発見の楽しみ・喜びを与えてくれる。