創世記50章

創世記50章        ヤコブの死と葬り

ヤコブの死は、勇気と希望をもって将来に立ち向かう事を命じるかのようだ。父は子らの求心力の役割を果たしてきた(一般的に、族長の死は後継者争いなど、しばしば部族の団結を脅かす)

ヤコブの死も大きな不安の陰を残した。ヨセフの兄たちに、恐れや不安が先走るのは致し方ない。幸い、ヨセフは神の摂理を受容し、血肉の絆は聖化され、愛とゆるしが新しい絆となる。

試練に遭遇して、神は逃れる道を備えておられる(Ⅰコリント10:13)が、それを見いだす者は、必ずしも多くない。二つの感情がせめぎ会うとき、キリストの平和が求められる。

Ⅰヤコブの死と葬り

ヨセフは、父ヤコブの遺言どおり遺体をカナンに葬るために遺骸をミイラにした。それに要した日数は40日と言われる。エジプトは、ヨセフに敬意を表して70日喪に服した。

服喪について、アロンの場合は30日(民数記20:29)モーセの場合も30日(申命記34:8)服喪の期間を設けた。サラ(23:2)やアブラハム(25:9)イサク(35:29)の場合には、服喪期間は判然としない。しかし、ユダの物語は、服喪の概念を伝えている(38:12)

「私に父を葬りに上って行かせてください。私はまた帰って来ます」

ヨセフは、父の遺言に従って、その遺骸をカナンに葬る許可をパロに求めた。パロは「あなたの父があなたに誓わせたように、上って行ってあなたの父を葬りなさい」と快諾する。

「ヨセフは父のため七日間、葬儀を行なった」

ヤコブの全家族は、この葬儀に参列した。パロの廷臣たちも加わった。しかし、幼い子どもたちは参加せず。子どもたちには容易ならざる旅であった故か。この葬列・葬儀を見たカナン人たちは「これはエジプトの荘厳な葬儀だ」と感嘆した。

ヤコブの墓所は、サラ以来、マクペラの洞穴。ピラミッドを建設したエジプトの王たちの埋葬を考えると、エジプトの高官たちには貧しい墓に見えたであろう。墓は、さすらいのアラム人には、天の都を仰ぐ門であり終着点ではない。彼らは、ここに肉の衣を脱ぎ捨てて天翔た(ヘブル11:9-10)

Ⅱ兄たちの心に生じた不安

「ヨセフはわれわれを恨んで、われわれが彼に犯したすべての悪の仕返しをするかもしれない」

葬儀の間は気にかける暇もなかったであろうが、一段落して、兄たちの胸中に恐れが忍びこんだ。“疑心暗鬼”という。疑念は一度ところを得ると、深く根を張り、容易なことでは拭いきれない。

潔いヨセフにとっては、すでに解決済みであった(45:5-8)が、兄たちは信頼しきれないでいる。古来“人間は万物の尺度である”と言われてきたが、この人間とは自分のことである。相手がどんなに高潔な人であっても、関係に不安を抱くと下司のかんぐりをやらかすものである。

少々ニュアンスは異なるが、聖書も「あなたは、恵み深い者には、恵み深く、全き者には、全くあられ、きよい者には、きよく、曲がった者には、ねじ曲げる方」(詩篇18:25-26)と教える。

兄たちの行為は、40年も前の出来事であった。法律は、時効という都合のよい言葉を生み出すが、人の心は真の和解を得るまでは安らがないものである。

「あなたの父は死ぬ前に命じて言われました」

兄たちは、父の名を持ち出して小細工を弄する。これは、いかにも姑息なやり方ではないか。もし、ヤコブが案じていたのなら、彼は直接ヨセフに語りかけたであろう。しかし、ヤコブはただの一度も、兄たちの行為を咎めたことがない。話題にした形跡もなかった。

「ヨセフは彼らのこのことばを聞いて泣いた」

何故泣いたのか。兄たちが、そこまでやらなければならなかった心情を哀れに思ったであろうが、自分の誠意が通じていないことにも悲しみを感じたのではないだろうか。

「私たちはあなたの奴隷です」

この言葉は卑屈で、兄弟の絆を辱しめるものである(詩篇133:1)が、預言的な響きが残る。

私たちは、神のみ前で、罪の赦しを大胆に憚らず確信する(ローマ8:1)のみならず、主は「わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました」(ヨハネ15:13)と言われた(友は歴史的表現。Ⅱ歴代20:7)

Ⅲヨセフの認識

「恐れることはありません。どうして、私が神の代わりでしょうか」

ヨセフは、裁きが神のものであることを認識している。彼は、人の愚行の中にさえも、神の摂理を見る謙虚な心を持っている。ヨセフは神の主権を尊ぶ。

ヨセフは、いかなる時にも人が神に変わることはできないと認識している。ヨセフの赦しは、一時的な感情ではなく、信仰に基づくものである。

この世の為政者たちは、自分の立場を確立することだけに意を用いる。自分の責務を忘れて、自分に都合の良い王権神授説のような傲慢な主張を掲げる(ローマ13:1)この世で権威を託されている人々が、ヨセフと同じ認識を持つならば、民衆の基本的な人権も尊重されてきたであろう。

「恐れることはない」

ヨセフは恐れを取り除くだけではなく、兄の家族たちに慰めと支援を約束した。この福音的響き。

Ⅳヨセフが死に臨んで

「私は死のうとしている。神は必ずあなたがたを顧みて」

ヨセフが老いた。孫や曾孫に囲まれて余生は穏やかに見えるが、死を避けることはできない。ヨセフは今、神だけを頼みとしている。ヨセフはパロの寵臣であった。いわゆる、お気に入りではない。絶大な信頼を勝ち得ていたのである。

ヨセフはこれまで、自分に与えられたパロの厚意を躊躇わずに用いた(47:4、50:4-6)しかし、この時に至って、パロの厚意を期待することが念頭にない。何故であろうか。

ヤコブの埋葬は、国葬レベルで華やかに行なわれた。しかし、ヨセフの遺骸は、埋葬の機会も与えられず、出エジプトに際してモーセがこれを携え出した(出エジプト13:19、ヨシュア24:32)

ここで推測できるのは、ヨセフとパロの蜜月が終わったと言うことである。おそらく、王朝が変わったのであろう。出エジプト記は「ヨセフのことを知らない新しい王がエジプトに起こった」(1:8)と伝えている(少なくとも世代替わりはあった)

ヨセフの飢饉対策は、普通ならば伝説的に称揚されるであろう。しかし、それが、異民族支配の一部であったなら、ヨセフとイスラエルはエジプトの憎悪の的となる。歴史は刻々と動いているので、陽の当る時があれば、冷や飯を食わされる時もある(毀誉褒貶)

ヨセフの晩年は、沈黙して、ひたすら神の顧みを待ち望まなければならない時代であったらしい。それでも、ヨセフの確信は「この地からアブラハム、イサク、ヤコブに誓われた地へ上らせてくださいます」ということから離れない。

「そのとき、あなたがたは私の遺体をここから携え上ってください」

これが、ヨセフの遺言である。

ヘブル書の著者は、信仰列伝のヨセフの項を「信仰によって、ヨセフは臨終のとき、イスラエルの子孫の脱出を語り、自分の骨について指図しました」(ヘブル11:22)と記した。

ヨセフの生涯には、記録すべき、興味を抱かせられる事柄がたくさんある。しかし、生涯を一言で要約するなら「イスラエルの子孫の脱出を語り、自分の骨について指図」したことに尽きる。

多くの人は、時代の潮流に巻き込まれて、初めの志さえ押し流されてしまうものである。しかし、ヨセフは、当座は適わなくとも、神の約束(先祖に与えられたカナンの地)に目を向けている。

信仰者の辿る道は、必ずしも日当りの良いところばかりではない。死の陰の谷も避けられない場合がある。しかし、主に信頼する者たちは決して失望に終ることがない。

ヨセフは110歳で死を迎え、その亡骸はミイラにされた。モーセは出エジプトのドサクサの中で、ヨセフの遺骸を運び出した(出エジプト13:19)